渡辺治・一橋大学教授が講演 新自由主義に立ち向かう福祉国家

渡辺治・一橋大学教授が講演 新自由主義に立ち向かう福祉国家

 10月25日、衣笠・立命館大学で一橋大学教授の渡辺治氏を招き、「新自由主義に立ち向かう福祉国家」と題して、サブプライム問題に端を発した金融恐慌の意味とその後の世界について考える講演会が開催された。同大学産業社会学部・日本社会保障研究会が主催し、協会が後援した。講演の要旨は次の通り。当日の模様は後日ホームページに掲載する。(文責・政策部会)

渡辺 治・一橋大学教授
渡辺 治・一橋大学教授

 構造改革に対して、私たちはどのように社会を変えていけば良いのか。

 まず確認したいことは、資本主義230年の歴史の中で100年少しの間が古典的自由主義の時代。それから100年弱の間は福祉国家的な資本主義の時代。それから30年の間、福祉国家的な資本主義を改変して資本の自由な活動を目指す時代が今進行中である。これは世界のほとんどを覆っているが、この新自由主義の時代が30年を経て、ある一つの分岐点に立ちつつある。最初の時代が最も長く、第二の時代は60年しか持たなかった。第三の時代が30年でガタがきていることになると、どんどんサイクルが早まっていることになる。大きく言って次の時代がどうなるかというと、バージョンアップした資本主義の時代にならざるを得ない。その意味で第四の資本主義の時代がやってくる兆しが表れた。

 まず一つは、今目の前の世界恐慌の規模が大きいということ。1929年の大恐慌に比べて、圧倒的な世界性を持ち、とてつもないスピードで世界をつかんでしまった。29年恐慌では、全くその影響を受けなかった世界がかなり広範にあった。例えば社会主義国であったソ連、アフリカ・ラテンアメリカの多くの部分、中央アジアは世界恐慌の埒外であった。ところが今回の世界恐慌は40億から50億人の世界を一気につかんだ。これはグローバル資本主義と新自由主義によって世界の経済が一体化していることの表れである。

 二つ目は、この恐慌が金融恐慌であるということ。グローバル企業の巨大化は資本蓄積を促し、たとえばトヨタの資本金の6割は金融資本として運用されている。様々な国に生産拠点を展開しているトヨタであるが、まだ世界規模でみれば生産は必要であるはずなのに、生産に投入するよりは金融に投入する方がはるかに手っ取り早く利潤を上げることができる。製造業のトヨタですらそのような状況であり、世界的に余っている資本がすべて金融に投入されている状況での恐慌といえる。これも新自由主義がもたらしたこと。

 三つ目には、アメリカ・ヨーロッパの株安を上回って、日本の株安が進んでいること。これは日本の構造改革の結果である。なぜそうなるのか。日本はヨーロッパやアメリカと違って、輸出志向型であり内需に期待できない構造となっていることに加えて、新自由主義改革によってさらに国内市場を縮小させたのであり、そこに円高が追い打ちをかけている。世界市場に規定された成長構造となっていることに、問題の深刻さの背景がある。

 政治的にも同じことが言える。世界で初めて新自由主義の実験が始まったラテンアメリカ12カ国中9カ国で、反新自由主義を掲げる政権が誕生している。新自由主義的改革で国内格差を増大させながら成長してきた中国でもいま、大きな路線転換がなされようとしており、格差と貧困の問題に対して、弱小産業・地方への利益誘導型財政支出が一気に拡大している。国内では、安倍政権、福田政権いずれも1年もたなかった。総裁選でも、急進改革派の小池百合子は地方票を1票も取れなかった。

 このように、これまでの資本の野放図な展開が、バージョンアップされた福祉国家的資本主義に戻らざるを得ないような、矛盾や破たんが見えている。そのなかで私たちはオルタナティブを考えていかなくてはならない。すでに私たちは、第一の福祉国家的資本主義を経験しているのであり、そのことがバージョンアップされた資本主義を作っていく際に、必ず大きな参考になり教訓となろう。以前は戦争と福祉がセットであった。次は平和と福祉をセットにしていかなければならない。具体的には、構造改革の政治の停止と労働市場の社会的整備と規制、普遍主義的社会保障制度の構築を目指さざるを得ない。しかし、そのようなことが本当にできるのであろうか。企業の負担を増やして国際競争力を落としてもいいのか。それと誰がやるのか。この政治的な担い手と世界的な実現条件を考えなければ、絵に描いた餅となる。

 これは一国的には無理である。日本だけ構造改革をストップさせて、新しい福祉の政治を実現することは、世界的な大競争のもとで日本だけが完全に隔離されない限り無理である。あのソ連や中国でさえも、世界市場から隔離された発展はできなかった。その中で日本が構造改革を止めて新しい福祉国家を実現するためには、ある地域的な経済圏が必要である。第一次世界大戦後の帝国主義勢力がその経済圏ごとで発展したように、閉鎖的な経済圏での共通のルール作りができれば、福祉国家的な資本主義は可能である。現在ではEUがそのモデルとなる。スウェーデンモデルが成り立つのも、地域的な経済圏が存在するからに他ならない。EU内での共通のルールが存在するからこそ、労働条件なども日本より守られている。振り返って日本においてアメリカ・ヨーロッパと対抗しながら、福祉国家的な資本主義を実現するためには、少なくとも東アジアレベルでの地域的な経済圏をつくる必要がある。労働賃金差を縮小する方向でルールを作り、法人税率・労働条件なども共通のルールとする。

 しかし、EUを作るにも60年かかった。今後世界生産の5割近くを占めるであろう東アジアでは、経済的な条件は揃っている。ここで共通ルールができれば確実に新しい福祉国家ができる。しかし東アジアにはEUになかったような地域的政治的対立がある。これを乗り越えることを考えなければ、構想は幻想に終わろう。

 では政治的な担い手は誰か。労働組合と労働者政党では、これまでも福祉国家の担い手たらなかったし不十分だ。構造改革で切り捨てられた中小企業労働者4000万人、全労働者の3割を占める非正規労働者。この人たちは未だかつて組織されたことがない。農村部や自営業層といった、新自由主義の打撃を最も受けている人たち。この人たちは保守の支持基盤である。この人たちとどう共同していくか。そして高齢者と女性。この人たちがいかにして新しい福祉国家の担い手になっていくか。この、広範な社会的担い手をどう広範な政治的担い手としていけるかにかかっている。

 労働組合も、正規職員の組合からいかに突破できるかが課題。政党も新しい形でもっと大きな政治的役割を果たせる。それを私たちが作って行かなければならない。その国の民主主義・福祉国家の成熟度、政治的な水準を測るものさしは、その国の政党の姿である。その政党を成長させ新しい福祉国家の担い手に変えていけるように、運動をいかに作っていくか。そのための政治的担い手形成を考えていかなければならない。

【京都保険医新聞第2665号_2008年11月17日_3面】

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