消えた展示 京大医学部資料館で  PDF

消えた展示 京大医学部資料館で

 2014年2月11日、京大基礎医学記念講堂が完成し記念式典が行われた。翌日の京都新聞はその模様を「研究伝える資料館誕生」という見出し付きで伝えている。「資料館には、設立当初から使用してきた大理石の解剖台や大正時代の心電計の実物をはじめ、野口英世が京都帝大から博士号を授与された蛇毒に関する論文や、戦時中に細菌兵器を開発していた『七三一部隊』への医学部の関与、iPS(人工多能性幹)細胞の作製に成功した山中伸弥教授の研究段階の議論が分かる資料が並ぶ」と紹介されている。めざましい研究成果の歴史だけでなく、戦争へ加担したという負の遺産を京都大学医学部として初めて明らかにしたことで注目に値するものであった。

 筆者も記念式典に参加したが、日本医学会総会2015関西会頭の井村裕夫氏は、日本の医学医療の未来を切り開くためには過去に学ばなくてはならないとあいさつされた。七三一部隊に代表される十五年戦争への加担の問題は、終戦を経て現在に至るまで日本政府も医学界も公式に認めてこなかった歴史がある。このため日本医学会総会2015関西においてこの問題を正式に取り上げて検証し、反省と謝罪を行ってはどうかと井村会頭には申し入れをしてきた経過もあったので、展示を前にしたこの発言は真摯な意思表明と受け止められた。式典終了後「敬意を表します」とあいさつさせていただいた

 件の展示は、京都大学医学部病理学教室百年史の中の歴代教授プロフィールで清野謙次教授の項にある石井部隊(51頁から)である。同58頁の石川太刀雄丸(金沢大学教授)によるペスト患者の解剖(ペスト菌散布によって流行、1940年)の記載は省かれている。そこには「我が国の国策に従い、アジア諸国への侵略に加担したとの批判も甘んじて受けなければなりません」という、京都大学医学部創立百周年記念式典(1999年12月12日)における本庶佑医学部長(当時)のあいさつが添えられていた。あるいは、このあいさつを収めている写真集「近衛無番地」(2004年2月6日)所収の「残念なことに資料の関係もあり、京都大学医学部と戦争の関わりについての掘り下げは不十分である」という同医学部長の言葉だったかもしれない。

 資料館の紹介を書くためにこのことを確認しようと4月11日に資料館を再訪した。施錠された地下の資料館に入ってみると、驚いたことに件の「七三一部隊」への医学部の関与を示す展示がないではないか。理由が何一つ説明されていない。新聞報道をみて来訪した人は困惑するに違いない。記念式典ではパワーポイントでも紹介され、懇親会ではユーチューブでも流したらどうかと意見もあった展示である。その一部がこっそり撤去されているのである。情けないとしか言いようがないが、京都大学医学部事務局に電話で予約しておけば資料館を見せてもらえるので、会員諸氏も足を運ばれてみてはどうだろうか。

 撤去された内容は記憶の範囲でしか再現できないが、上述した資料は協会にあるので、ご一報いただければ提供したい。

(政策部会理事・吉中丈志)

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