橋本知事と河村市長は、なぜ注目を浴びるのか?  PDF

橋本知事と河村市長は、なぜ注目を浴びるのか?

 3月11日に東日本を襲った大震災は、大きな被害をもたらしただけでなく、福島原発を破壊し、今なお続く困難をもたらしました。あまりの被害に声もありません。大震災や原発事故が政治や日本のゆくえに大きな影響を与えることは必至ですので、本連載でも正面からとりあげる必要がありますが、今回は、震災復興と並行しておこなわれている統一地方選挙の目玉となっている、橋下大阪府知事や河村名古屋市長の地域政党の問題を検討します。

 橋下府知事は「大阪維新の会」を立ちあげ、府議選・大阪市議選での多数獲得をねらっています。また河村市長は「減税日本」を立ちあげ、去る3月13日の市議選では28議席を獲得した勢いに乗って県議選にも大量の候補を擁立し、大村知事率いる「日本一愛知の会」と合わせて、これも過半数をねらっています。東日本大震災の大きな衝撃のもと、「復興には地域政党では到底対応できない」、「復興の財政支出が緊急の際、減税でいいのか」という声も広がっていますが、橋下氏らの地域政党がいっせい地方選の焦点になっていることは否定できません。その政治的主張の中味はバラバラですが、これらの動きに共通しているのは、“地方自治体に権限を”という主張です。
では一体、なぜ今、橋下氏らの地域政党が注目を浴びるのでしょうか。その理由としては、保守支配層の要請と国民意識の動向という2つの理由が考えられます。

 第1、橋下氏らの政治が注目されるのは、それが菅民主党政権が構造改革復帰路線の目玉として実現を追求している「地域主権改革」のモデルとして期待されているからです。そもそも地域主権改革は、自民党政権時代から構造改革の一環として推進されてきた「地方分権改革」が、名前だけを変えて受け継がれたものです。地域主権改革のくわしい検討は省略し、結論だけを言うと、地域主権改革とは、地方自治体に「自主的に」構造改革を遂行させるため、地方に権限や財源をゆだね、地方を構造改革の単位にしようという改革です。地方自治体に構造改革をおこなってもらうためには、地方が福祉、医療や教育について、「自由に」削減したり縮小したりできなければなりません。
全国のどこに住んでいても平等に教育や医療を受けられるよう、国は福祉や医療、教育についてナショナルミニマムの保障の基準を設定し、その財政的保障もおこなってきましたが、そんな国の規制があっては、地方自治体が「自主的に」福祉の削減などできませんから、改革はこうした国の関与を外すことが中心になります。
「国の義務づけ・枠づけ廃止」という名のもとで、保育所の施設基準などを地方自治体の条例で定められるようにすること、「国の出先機関廃止」のもとで、ハローワークなどの国の機関を廃止し自治体に移管すること、「基礎自治体への権限移譲」の名のもとで、事務・事業を市町村に丸投げすること、「ひも付き補助金廃止」の名のもとで、地方自治体の「一括交付金」というかたちで資金を交付し、自治体が「自由に」使えるようにすること、などの改革がその柱となります。
こうすれば、財政の苦しい自治体は、医療や保育、介護、教育などの支出を裁量で削減できますし、また開発におカネを投入したい首長は、福祉を削減して開発にふり向けることができる。こうして「地域主権」の名のもとで、自治体構造改革を安定的に進められるというのがねらいです。

 しかし、じつは地域主権改革が成功するには、ある前提が必要です。国の規制が取り払われたとき、その権限を使う首長が、かつての美濃部・蜷川革新知事のような人ではダメで、その権限をフルに構造改革に使う首長でなければなりません。つまり、地域主権改革が成功するには、橋下知事や河村市長が不可欠なのです。橋下知事が民主党政権の「地域主権戦略会議」のメンバーとして、終始リーダーシップを発揮してきたことは、その関係を象徴しています。
橋下府政は、地域主権改革のモデルと言えます。その政治は、保守支配層が望む自治体構造改革推進の3つの特徴を兼ね備えているからです。第1に、橋下知事は、就任以来大阪の「財政危機」を声高に叫び、「その再建のためには容赦ない削減が不可欠」として、福祉や教育費の削減に大なたをふるいました。第2に、橋下知事はそうして貯め込んだカネで、大阪「ベイエリア開発」をはじめ、大企業本位の開発に投入したのです。橋下知事が地域主権戦略会議でも盛んに「いくらカネがついても自治体の自由になるカネでなければならない」とくり返しているのは、そのカネを開発に使いたいからです。第3に、橋下知事がこうした乱暴な改革を推し進めるために首長独裁型政治をおこなっていることです。「地域主権」を呼号する首長が例外なく「独裁型」であるのは、偶然ではありません。住民はおろか、自治体の公務員や議会の言うことを聞いていたら、こんな改革はできないからです。
河村市長は、橋下とは異なるタイプの政策をもっており、大企業負担を軽減するために消費税の引き上げをねらう民主党政権とも対立していますが、地域主権を呼号し、首長独裁型の政治を追求する点で、地域主権改革型の首長であることは間違いありません。むしろ、こうした様々なタイプがいることで、地域主権はあたかも民主主義と多様性を実現しているかに見えることも、改革の宣伝となっています。

 しかし、橋下・河村型政治が注目を集めるもう1つの、民衆側からの理由があります。それは、政権交代以後の1年半に及ぶ民主党政権の政治を経験する中で、多くの国民が、政治に展望を失い、閉塞感を強めていることです。反構造改革と政治の転換を期待した民主党政権に不信を抱き、かといって構造改革に固執する自民党にも戻れない。かといって共産党に行くのも躊躇される。そういう中で、自民でも民主でもない方向を指し示しているかに見える、みんなの党や橋下型地域政党に期待してみようかというのが、橋下らが人気を博す秘密です。
こうした傾向には、積極・消極2つの意味があります。第1は、保守二大政党による政治にほころびが見えていることです。民主党でも自民党でも、構造改革・日米同盟強化では同じではないかという失望と、そうでない道を求める志向が現れていることです。第2は、しかしそれがいまだ明確な方向をもっていない点です。国民の関心の浮動性が著しいのもそうした政治方向の不確かさからきています。今ほど、構造改革でも日米同盟でもない、新しい福祉の政治の方向が求められているときはありません。

クレスコ編集委員会・全日本教職員組合編集
月刊『クレスコ』5月号より転載(大月書店発行)

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