核兵器廃絶への運動を市民レベルで盛り上げよう
5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、「核兵器の完全廃絶に向けた具体的措置を含む核軍備撤廃」に関する「行動計画」に取り組むことの合意。最終文書に「核兵器禁止条約」の文言が明記されたこと。また、中東の非核地帯化の実現に向け、2012年に米英ロと国連の共催で会議を開くことなど、「核兵器のない世界」が国際政治の明確な目標となった。これを受けて、8月に広島で原水爆禁止2010年世界大会が開催された。この世界大会では、核兵器廃絶条約締結に向けた国際交渉開始が国際政治の現実的な課題となり、広島・長崎を訪れた潘基文国連事務総長は、被爆者が生きているうちに核兵器廃絶を達成しようと呼び掛けた。また、核兵器廃絶に向けての最大の障害となっている「核抑止」論に対しても、「核抑止力」論からの脱却するために圧倒的な世論を築き上げることが呼び掛けられた。この「核抑止力」論に対しても、潘国連事務総長は7月に「平和市長会議」へのメッセージの中で、核兵器が安全を保証するとか、一国の地位や威信を高めるといった主張こそが幻想であり、安全を保証し、核兵器の使用から逃れる唯一の方法は、それらを廃絶することだと明言した。このような中、唯一被爆国である日本の菅首相は8月6日に、核兵器をはじめとする大量破壊兵器の拡散の現実もあり、核抑止力は我が国にとって引き続き必要であると、「核抑止力」論、「核の傘」の幻想、呪縛から逃れられていない。
今まさに、この「抑止力」とは何なのか? 「抑止力」は本当に必要なのか? 「抑止力」=「恐怖による威圧」ではないのか。広島、長崎の悲惨な犠牲をもとになりたっている論理ではないのか? 日本国憲法前文の、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」に反するのではないのか。もう一度考え直す必要がある。
オバマ大統領がプラハで、「核兵器を使用した唯一の核保有国として、合衆国には行動する道義的責任がある。…本日、はっきりと、信念をもって、米国は核兵器のない世界の平和と安全を追求すると誓約する」と演説した。唯一の被爆国である日本政府も核兵器廃絶、そして「核抑止力」からの脱却にむけて世界のリーダーシップをとってほしい。そのためにも我々国民も、核兵器廃絶への運動を市民レベルで盛り上げ、圧倒的な力として日本政府へ圧力をかけなければならない。