未来につなげるためにルーツを探る 田中優子法大総長が江戸の倫理語る  PDF

未来につなげるためにルーツを探る 田中優子法大総長が江戸の倫理語る

 
 2015年4月に開催される「第29回日本医学会総会2015関西」において、戦争と医学問題を含む医の倫理がテーマとして取り上げられるよう、協会は保団連や関西圏の保険医協会などと協力し、「医の倫理」実行委員会を結成。さまざまな取り組みを行っている。同実行委員会によるメイン企画は15年4月12日、開催予定だが、10月26日、京都におけるプレ企画として、スペシャル鼎談「これからの日本の医学—過去・現在・未来—を語る」を池坊学園こころホールで開催した。司会は礒部理事。参加者は122人となった。
 
 医学・医療が進歩する中で医学界が医の倫理を深めていくためには、日本の倫理観、あるいは道徳観の歴史から学ぶことが必要だ。しかしながら、明治以前の倫理観、道徳観への言及は、少ないのが実情である。そこで、江戸期文化や庶民の生活などから垣間見える倫理観などを学び、現在、あるいは未来につなげていきたいと今回の取り組みを企画した。
 
江戸における倫理観とは
 
 第1部は、法政大学総長の田中優子氏を講師に、「江戸から学ぶ日本の倫理」と題した講演を開催。田中氏は世相を風刺した浮世絵などを用いながら、江戸時代の人々の暮らしぶり、風俗から見える倫理観について解説した。
 医療においては、江戸の人々に「養生」という考えが浸透していたことを紹介。江戸時代の本草学者、儒学者である貝原益軒の『養生訓』を引用しながら、養生は自らの健康や生活に気をつける、病後の回復に努めるという現代で使われている意味だけでなく、どう生きていくのかという人生指針も含めたものであったことを説明した。また、「好色」について、江戸時代には教養を身に付けるという意味も含まれていた価値観であり、浮世草子の作者で知られる井原西鶴の『好色一代男』を例に、当時は恋も、生命力と教養力がなければできないとして、主人公の両親が健康に育ったことを喜ぶくだりを紹介。ただ長生きするのではなく、自分の人生を楽しむためには元気でいなければならない。現代より「死」が身近にあったからこそ、自己治癒力の活性方法や病気予防法が重要視されていたとした。
 井原西鶴は『世間胸算用』でビジネス論にも言及しており、悪事は必ず露見するとして、足切り八助の蛸売りを執筆している。これは商人の悪事を戒める話で、江戸期では商品を売買し、利ざやを稼ぐ商人はあまり良く見られていなかった。このことから、商売上では顧客に対してだけでなく、店組織の雇用者・被雇用者間でも「信用」に重きを置いていたことが窺い知れると述べ、現代にも通じる考えだとした。
 そして、江戸文化として花開いた落語。ここには「質素倹約」といわれる簡素な生活環境や、落語の中で粗忽者、与太郎と呼ばれるような人たちも甘受し、時に直面する「死」すら笑い飛ばすという社会が描かれている。特に、江戸時代の長屋などの人間関係はおせっかいと誤解されがちだが、お互い干渉せず、尊重することが基本だった。ただし、周辺への目配りはしており、手助けが必要と判断すればすぐ駆けつけるなど、人と人との距離感が絶妙なバランスで保たれている。付きすぎず離れすぎずという「連」の思想が日常生活の中で確立していたと述べた。
 
江戸社会は循環社会
 
 また、江戸時代の社会では、過去・現在・未来が線で結ばれていると考えるのではなく、螺旋のように循環するものと考えていた。実生活において、農作物の収穫や商売の利益など今よりも多く、今よりも大きくと求めるのではなく、来年も同様に生活できているようにと、循環性に重点が置かれた思考であったこと。その象徴として、江戸社会は完全なリサイクル社会だったことに触れ、着物であれば呉服屋で買い入れた後、着古せば古着屋へ。つなぎを充てるなどをしてさらに着古し、着られなくなればふとんや袋物にリサイクル。その後はぞうきんなどで使用し、どうしようもなくなったら炊き付けに使用していた。これは、現代では失われている考えではないかとした。

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