映画館へ行こう たまには時間をつくって異文化交流

映画館へ行こう たまには時間をつくって異文化交流

京都シネマ代表・神谷雅子氏にきく

 2003年1月、「京都朝日シネマ」が惜しまれながら閉館、翌04年12月に新たなアート系映画館として「京都シネマ」(烏丸通四条下ル西側 COCON烏丸3F)が開館した。京都朝日シネマの立ち上げから参画して支配人をつとめ、新たに京都シネマを開業した神谷雅子氏に、映画の楽しみ方、映画館の役割などについて聞いた。聞き手は、自宅にホームシアターをつくるなど映画好きの飯田哲夫理事。

神谷 雅子氏

神谷 雅子(かみや まさこ)氏
京都シネマ代表(株式会社如月社代表取締役社長)、
立命館大学産業社会学部教授。
近著に『映画館ほど素敵な商売はない』(かもがわ出版)

飯田 哲夫 理事
飯田 哲夫理事

 飯田 久しぶりに映画館に来ました。最近は映画館へは来ていませんが、神谷さんがお書きになった『映画館ほど素敵な商売はない』の巻末に04年から07年までの京都シネマでの上映タイトルが出ていますね。あの中で30本くらい持っています。3分の1は時間がなくて積み上げたまま観ていませんが。

 神谷 よく観ておられますよね。いつぐらいから映画がお好きになられたのですか?

 飯田 確か「ニュー・シネマ・パラダイス」(89・伊)にも出てきたと思うのですが、子どもの頃、野外映画劇場の経験が私にはあります。叔父が国立療養所に勤めていて、結核で長期入院されている患者さん向けに夏になると運動場で映画会をやるんです。大きな竹を立てて、そこにスクリーンを張って。風が吹くとスクリーンが揺れて、それから裏側から見られて、非常に楽しい。内容はあまり覚えていないのですけど。

 神谷 その雰囲気がすごく記憶に残っておられるわけですね。

 飯田 私、今67歳ですけども、当時は小学校で映写会があって、全部生徒が準備する。体育館に暗幕を張って、座布団を用意して、映写機が持ち込まれて担当の先生が映画を観せてくれる。本当に朝からウキウキしていました。

 家でも当時、父と母が映画に行く時はおしゃれをして、大変な楽しみだったようです。何観たのって尋ねたら、「屋根」(57・伊)という映画、ヴィットリオ・デ・シーカだったと思います。屋根を作ったら居住権ができるから、みんなで大急ぎで屋根を作る話だったと思います。それを今でも覚えているのですから、その時分から映画は好きだったんでしょうね。数年前にホームシアターもどきを作るまでは、映画館に足繁く通っていました。

 神谷 今思い出されるタイトルというと。

 飯田 沢山ありますが、例えば「アラビアのロレンス」(62・英)、それから同じ監督の…。

 神谷 デヴィッド・リーンですね。

 飯田 「ライアンの娘」(70・英)。大きな歴史の流れの中に個人が巻き込まれていって、そして悲劇が起こる、というタイプが印象に残っています。特に「アラビアのロレンス」は父の本棚に岩波新書があって、それを読んで初めて、最初のシーンはそういうことだったのかと分かりました。

 「ライアンの娘」も、少しアイルランドの本を読んで、ああそうか、あのシーンはこういうことなんだというのが分かる。知らない国のことを知ることが好きなものですから、私にとっては、非常に面白かった。アイルランドの本をその後何冊か読みましたから、大きな影響を受けたといっていいでしょう。

朝日シネマから京都シネマへ

 飯田 京都朝日シネマが閉館して、今度京都シネマをお作りになられた。こういうものを作ろうという、一番強い思いは何だったのでしょうか。

 神谷 京都朝日シネマの閉館が決まった時に、京都の街にハリウッドや日本映画の大作ばかりを紹介する大きな映画館だけになってしまうのが、とても残念なことだし、私にとっては無念だと。ならば、作る責任もあるという思いを強くしました。

 作るからには、京都朝日シネマではできなかったこと、もっと大きな役割を果たせる映画館を作りたいと思いました。そのために3スクリーンの映画館をと、こだわりました。

 開館以来、京都国際学生映画祭であるとか、学生の作品を上映するカレッジ・ウィークであるとか、映画館の機能を使って映画だけを上映するのではなく、いろんな講座などもやってきています。夏休みには小学生高学年以上を対象に宇宙や気象をテーマにした科学映画上映会も取り組んでいます。

 また、溝口健二監督の「滝の白糸」(33・日)という無声映画がありまして、普通の映画館ではなかなか見る機会はないのですが、無声映画と音楽のコラボレーションということも企画しました。チェロ奏者の河野文昭さんと知り合い、河野さんが、クラシック音楽をもっと多くの人にいろいろな機会を作って聴いてほしいと思っておられた。映画館はスピーカーを通して客席にクリアに音が聞けるように設計されていますので、残響がない。マイクを通さない生音は、非常に条件が悪いのです。でもトライしたいと。曲は京都在住の作曲家の西村由記子さんに作っていただきました。こうした企画ができるのも、3スクリーンで、作品選択に少し余裕ができるからです。

 当然、映画館は映画を上映することが目的の施設ですし、ビジネス的にバランスをとらないといけません。でも、映画館が果たす役割や可能性を広げていける取り組みは積極的にやっていきたいと思っています。

 実は、京都シネマのもう一つの大きな特徴は音響的設備です。音響が良いといわれるシネコンに匹敵するレベルのものを作りたかった。ご家庭でも5・1CHの音が楽しめたり、皆さん耳が肥えてきていますよね。ここは、お金をかけたところです。

数多くの映画ポスターが迎えてくれる「京都シネマ」入口。<br>COCON烏丸(烏丸通四条下ル西側)の3F
数多くの映画ポスターが迎えてくれる「京都シネマ」入口。COCON烏丸(烏丸通四条下ル西側)の3F

芸術性と娯楽性、欧州と米国

 飯田 次に、いわゆるアートシアター系とシネコン(シネマコンプレックス)とは、どう役割が違うのでしょう。

 神谷 映画産業の流通システムでお考えいただくとわかりやすいかもしれません。シネコンでかかる映画は、製作費も公開までに投じられる費用も莫大で、全国で200や300ものスクリーンで公開しないと利益が見込めない作品がほとんどです。

 アートシアターといわれる映画館でかかる作品は、日本の流通の過程で投じられる費用が少ない作品とお考えください。アメリカ映画にもハリウッド大作だけではなく比較的低予算のインディペンデント映画があります。そうした作品やヨーロッパやアジアの作品を配給会社が買い付けてきて、それを日本の興行の中では比較的小さなマーケットで上映する、そうした作品を上映している映画館をアート系と呼んでいるわけです。

 単純化してしまいますと、エンターテイメント系の大作を中心に上映するのがシネコン。アジア、ヨーロッパ、中南米、アフリカなど様々な国の様々な映画、社会的メッセージ性の高い作品、監督の作家性の強い作品、あるいはドキュメンタリーなどを上映するのが、アート系の映画館です。

 飯田 ハリウッド映画だけではなくアメリカ映画全体とヨーロッパ映画では、どんな違いがあるんですか。

 神谷 アメリカ映画はどちらかといえば、単純明快なストーリーで人物も結構単純にわかりやすく描かれていることが多いと思います。もちろんいろんな映画があるし、監督によっても違う、人間の奥底の理解しがたい部分を描く、あるいは未来を描いた映画など。ただ、ヨーロッパの映画と大きく違うと思うのは、歴史です。

 ヨーロッパの映画というのは、複雑な歴史がそれぞれの国の中にあります。そうした歴史をテーマにすると、アメリカ映画との違いが際立ちます。最近、フランス映画「いのちの戦場―アルジェリア1959―」(07・仏)というアルジェリア独立闘争を扱った作品を試写で見ました。ブノワ・マジメルという俳優が自分で企画をして、フランス現代史のタブーを映画にしたものです。日本では今年の春公開予定です。昨年カンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞したイギリスのケン・ローチ監督の「麦の穂を揺らす風」(06・英)も、アイルランド紛争がなぜ起きたのか、イギリスの政治支配の問題を痛みを持って描いていました。ロシア映画もギリシア映画も、もちろんイタリア映画も、やはり複雑で一筋縄ではいかない。いろいろな文化、歴史、宗教などを背負った様々な人々、民族が映画の中に出てきます。

 アメリカ映画の中では、黒人俳優に着目していただくと、アメリカが抱えている歴史の一端を垣間みることができると思います。一方、ハリウッド映画は世界の中で自分たち(アメリカ)こそ、正義であるという主張が貫かれている作品が多いです。

 飯田 疲れた時はアメリカ映画、ゆっくり観たいという時はそれ以外と、私は分けているところがあります。確かにアメリカが世界を救うというような、腹立たしいものもありますね。

まだまだ伸びるアジア映画

 飯田 アジアの映画はかなり面白いですね。香港、韓国はハリウッド的になってきた部分もありますが、多くのアジア映画は貧困がベースに流れていて、そこで表れてくる問題を扱っています。時々またこのテーマかと思うこともあるのですが、決してヨーロッパではできないだろうと思います。例えば、北京オリンピックを演出したチャン・イーモウ監督が作った「紅いコーリャン」(87・中)、あれを観た時はすごいなと思ったし、それからインド映画も「モンスーン・ウエディング」(01・印)だとか。かなりたくさん、面白い映画が出ているのですが、特色というのは何でしょう。

 神谷 日本では流行があって、80年代に中国映画、90年代前半インド映画、そして2000年以降の韓流のブームというように、流行が作られてきました。でもブームが終わったから上映されていない、ということはなく、中国映画も昨年北京オリンピックによって壊されていく、日本で言うと長屋でしょうか、を舞台にした「胡同の理髪師」(06・中)という素敵な作品も公開されています。

 韓流ブームは、ぺ・ヨンジュンから始まって、テレビドラマから映画に関心が広がり、今も韓国のスターを追っかけている日本の女性がいる。韓国作品はエンターテイメント性の強い作品もあれば、韓国社会の現状や歴史を描いた作品もあり、独特の儒教文化や歴史を反映した形でのラブストーリーというのもたくさんあります。日本と韓国の関係を考えれば、年間を通じて韓国映画を上映していくことはすごく大事だと思っています。アジア映画はまだまだこれからだと思います。経済的基盤がどう整えられていくのか、映画産業がそれぞれの国々でどのように発展していくのか、世界のマーケットでどう評価されていくのか。今度はタイ映画ブームや、またインド映画ブームも起きるかもしれません。

大作と作家性重視に二極化

 飯田 では日本映画というのは、どんなふうに見ておられますか。

 神谷 日本映画も大きなマーケットで勝負する映画と、監督が作りたい、今の時代に問いたい映画の2極に分かれています。大作はテレビ局などの出資を前提として企画が進みます。そういう作品は大量にメディアに露出する。出資したテレビ局では、朝から晩まで何かの番組に、映画の出演者や監督が出演する形での大量宣伝によって作品の認知度を高めていく。テレビ局による出資システムが最初に成功したのは「踊る大捜査線」(89・日)です。それ以降、積極的に参画するようになって、これからまだまだ作られていきます。学生も入場料金が高いこともあって、ハズレを嫌い、ある程度内容も分かっていて、安心できる映画を観に行くようになっています。今の日本映画が外国映画よりもお客さんを集めているのは大量露出が大きなポイントです。今年は特にハリウッド映画が不作だったので、やむを得ない部分もあるのですが。

 一方で作家性とか、監督が作りたいと思う企画の方はどうかといえば、それはそれでお金を出そうよという雰囲気がある程度あって、一応作られています。その中で今年健闘した作品は、阪本順治監督の「闇の子供たち」(08・日)です。梁石日さんの原作で、タイを舞台に幼児売買春、臓器売買に我々日本人も関係しているということをルポルタージュタッチで描いた読み進むのが辛いところもある小説でした。阪本監督は、幼児買春はよその国の話ではなく、日本人も加害者だということを言いたかったと仰っていました。映画は、原作をもとにしながら、ドラマとして成立するように作られていました。この作品が昨年の京都シネマナンバー1の観客数で大ヒット作品でした。監督も嬉しかったと思いますが、私もすごくうれしかったです。

 飯田 ものすごい数の映画が作られているので、その中で上映するものを選択していかなくてはいけない。私には一番面白く一番しんどい作業だと思われますが、どんなふうに選ばれるんですか。

 神谷 もちろんオファーをいただいて、映画を観て、やるやらないを決めるという形です。でも長いお付き合いの配給会社から、今こういう映画を撮影中なので来年のこの時期にぜひということであれば、過去の実績で決めることもあります。

 今、09年の初夏ということで、決めている作品が数本すでにあります。1本は「ゆれる」(06・日)の西川美和監督が撮っている「Dear Doctor」という映画です。笑福亭鶴瓶さん主演で、離島でただ1人のお医者さんというのが鶴瓶さんの役です。西川さんであれば間違いないし、鶴瓶さんが主演と聞いて、話題性という意味でもやらせていただくことにしています。

 また、京都出身のみうらじゅんさんが自分の青春時代を描いた「色即ぜねれいしょん」という小説を原作に映画が作られています。制作段階からエキストラ集めに協力してほしいと言われ、学生を紹介したりしました。みうらさんの出身校である東山高校を借りて撮影されていて、実際に撮影現場の雰囲気も見てきました。京都発の映画ということで、いっしょに盛り上げていくことにしています。

 あとはやはり、配給会社や興行の現場にいる友人などからの薦めや、配給会社の公開作品ラインナップ発表に行ってのチェック、というような形です。

 飯田 長い間の経験と人脈ということですね。神谷さん以外で選定をするスタッフもおられるのですか。

 神谷 合議制ではまとまらないので、私が決めます。私の代わりに観に行ってもらって、意見を聞いて決めるようなこともありますけど。多分、どこの映画館も同じだとと思います。シネコンも東京に番組編成者がいて、その人が決めています。下から意見を聞くかたちでは決まらないからです。

 飯田 実は合議制で、机をがんがん叩いて決めているのかと思ったものだから、意外でした。

 神谷 上映を決めた映画は当然、試写もありますから、それを観て、良かった、あるいはこれちょっと違ったと思った場合は、上映回数に変化を持たせたりします。経営的に作品をどう位置づけるかは重要なので、それは支配人と協議します。

 飯田 責任も重いかも知れないけど、なかなかそこも面白そうですね。

 神谷 そうですね。楽しいですよ。自信を持って選んだのにお客様に来ていただけなくて、胃が痛くなるような日もありますが。

映画館でしか味わえないこと

 飯田 今日久しぶりに映画館に来て、座席に座らせてもらったのですけど、ご本の中で、音響設計された人が「私はここを小さな試写室だという雰囲気で捉えている」と言われているのは、非常にいい表現だと思います。あのふかふかの椅子に座って、その雰囲気に浸って、私が一番最初にホームシアターを持ちたいと思ったシーンが思い出されました。それは、高校生の時に観たある映画で、ハリウッドのスターが自分の映画を自分の家の試写室で見て涙を流すシーンです。それと、開始ブザーがたぶん鳴るんだと思うのですが。

 神谷 ブザーは鳴らないです。最近どこも鳴らさなくなりました。今は、ほとんど暗くなったらスタートします…。

 飯田 そして、ホームシアターではパンフレットを味わうことできない。というような違いもあるけれど、映画館の役割、あるいは映画館の楽しみはこれだというところは何でしょう。

 神谷 よく聞かれますが、やはりライブ感覚です。観終わった後に、前席の方から「いやぁ素敵な映画でしたね」と声をかけられて、その映画の味わいがすごく深まったという声もお聞きしますし、逆によくしゃべられて嫌だったとか。

 閉じた空間で一切邪魔が入らない、その時にその映画を観るためだけに、隣や前に座られた方たちがいて、反応が少しずつ違っていたりする。たまたま場を共有した人と一緒に空間を創ることによって、その時の映画がその時だけの映画になる。監督はみなさん、映画は映画館で観てもらった時に初めて映画になると言われます。

 そして映画館は、映画を見るためだけに作られた特別な場所です。ホワイエには映画のポスターやパンフがあり、監督や出演者のコメント、映画評などいわゆるパブリシティボードもある。その映画館でしか見ることができないものです。ホワイエに入った瞬間から、もう映画を観るという行為がスタートしているのです。

 飯田 シネコンはちょっとニュアンスが違いますか。

 神谷 こうした映画館作りには、手間と時間と熱意が必要です。残念ですが12スクリーンとか、13スクリーンもあるシネコンではできない。シネコンには私も行きますが、アメリカの興行会社が考えた非常に儲かるシステムだと思っています。例えばお客様が多い映画であれば、同時に3スクリーンで同じ作品を時差で上映できる。しかも1本のフィルムでできる設計になっている。つまり、次から次へとお客さんをさばいていける。映画を深く味わうとか、映画と向き合うとか、そういうことを想定して作ってはいません。

 飯田 ずれた例えかもしれないけど、スーパーマーケットと近所の長い付合いの専門店。

 神谷 まさにそうですね。

 飯田 私がよく映画館に行っていた頃は、アートシアター系は若者、学生でいっぱい。一般の映画館は、少し年齢の高い方だったのですが、先ほどロビーで待ってられる方を見たら、かなり私の年齢に近い人がいる。

 神谷 その方たちがコアなお客様です。最近残念なのですが、若者は映画館にあまり来てくれない。行くとしたらメジャーな映画ばかりです。日本の映画料金は世界で一番高いので。今のままなら、映画館からお金のない若者、学生たちが遠のいていくのではと心配です。それもあって、学生映画祭など学生を映画館に引っ張ってくるということを続けています。

 そして、映画館という場所は、地域の文化的なコミュニティーとしても重要だし、あるいはリテラシーということでも本当に重要な役割りを果たせる場所だと思っています。日本のリテラシー教育はすごく遅れていて、欧米では中学や高校の授業としてやられている。メディアを鵜呑みにしないということですね。映画館がそれに取って代われるということではないのですが、メディアで報道しないその国の姿というのを映画は確実に表現している。そういう意味で映画や映画館を活用してほしいです。

開演を待つ京都シネマのスクリーン
開演を待つ京都シネマのスクリーン

映画を通して異文化を発見

 飯田 今度は映画そのものの楽しみについて、あるいは映画の持つ可能性と言ってもいいかと思いますが。

 神谷 私自身が大人になってからですが(笑い)、映画に育てられました。自分の生活からでは、思いもつかないテーマ、あるいは人物が映画の中にある。そして、映画は自分と違う価値観を共有できる文化でありメディアという面もあります。相手を理解するためのツールという言い方をすると語弊があるかもしれませんが、それもやはり映画の持っている力だと思います。

 例えばアメリカのブッシュ政権が9・11以降、アフガニスタンに爆弾を落とし、その後イラクで戦争を起こしたわけですが、アフガニスタンやイラクなどイスラム世界の作品を見れば、その国に暮らしている人々の顔が見える。そこに爆弾を落として、子どもやお年寄りや女性までも殺している、そのことに、なぜ想像力が働かないのだろうと思う。そういう想像力を鍛えることも大事ではないでしょうか。

 パレスチナの映画を見ることによっても、イスラエルという国がどういう国で、パレスチナ人がどういう状況に置かれているのかということも私たちは知ることができる。そうした映画は残念ながらこじんまりと上映が終わってしまう。ですから、情報は自ら探してアクセスするということをしていただきたいです。

 そして、映画は旬が大事です。思った時にその時間を確保するということ、その時に見たという同時代性と、なぜその時その映画が作られたのかということを共有できることも映画を味わう醍醐味です。映画で描かれた状況は、改善されないことが多い。改善されないからこそ描きたいと監督が思ったということもあります。そのことを自分の引出のどこかにぜひ仕舞っておいていただきたい。何かあったらその引出を開けて考えて、そして行動することにつながっていってほしいです。

 映画に何ができるかといえば、何もできないけれども、その映画を観た人が、いくつもの引き出しを増やし、人生観が変わることがあったとしたら、素晴らしいことだと思っています。

 飯田 私は保険医協会では9条と環境を担当していて、9条の大切さを毎月、新聞に書くけれども、どうしても読んでもらえない。といって、「日本国憲法」(05・日)という映画もありましたが、あまり楽しくない。観て、感動するようなものがあれば、いいなと思っています。どんなにきちんとまとまった話でも1時間の映画が伝えるものにはとても追いつかない。

 7歳と4歳の孫がいるのですが、スウェーデンの「ロッタちゃん はじめてのおつかい」(93・ス)という映画を食い入るように見ていたんです。面白かったんでしょうね。後で娘から「あの映画大変だよ。行動が変わっちゃった。特に下の子どもが言うことを聞かなくなった」と。

 神谷 ジョキジョキとセーターを切るかもしれない。

 飯田 こんな小さな子どもにも影響を与えるなんてすごいですね、それと私にとって映画っていうのは居ながらにして、異文化を味わえるということ。保険医協会の会員の多くの方々は、仕事で海外なんかなかなか行けない。それに代わってということにはならないでしょうけれども、映画館に行くというのもいいかもしれませんね。

 神谷 そういえば、亡くなられた福島昌山人先生にずっと原稿と絵を描いていただいていたんですよ。

 飯田 福島先生とは同じ地区で、大学の先輩でもあるんです。昔からの付き合いで、よく本屋でばったり会うんです。「お前何買うた、俺これや」というのが本当に楽しかった。会うとほとんど映画の話。メジャーな映画は観ないと言ってられたけれど実はそれも観ておられる。

 神谷 そうでしたか。京都シネマニュースに書いていただいたのはうちの映画ばかりでした。

 飯田 本当に映画好きです。あの暗闇に1人で座っているのは、至福の時だと。どんな映画の話をしても、うんあれはって反応がある。観ていないなんてめったにおっしゃらない。ああいう人が亡くなられたのは寂しいですね。

 神谷 本をその直前に出されてて、出版パーティーの時はお元気だったのに。

 飯田 じゃあその会場でお会いしていたんですね。

 神谷 いました。私も。

 飯田 本当に映画館と本屋に行くのが大好きという方でした。

 神谷 本屋さんも次々と新しい本が出てきて、しかも今買っておかないと絶版になってしまうみたいなところもありますから。本屋通いというのは、何か分かる気がします。アマゾンでは買わないと。

 飯田 本当ですね。アマゾンは稀有な本を探すときには便利ですが。それ以外は本の匂いを感じられませんから。

 神谷 でも便利で使ってしまうんですけど。

 飯田 アマゾンと本屋さん、ホームシアターと映画館。かなり違いがはっきりしてきましたね。

肩のこらないドキュメンタリーを

 飯田 ドキュメンタリーでは、「ダーウィンの悪夢」(04・仏ほか)という映画があって、ヴィクトリア湖の魚を通してグローバリズムの悲惨さが見事に出ている。世界は今グローバリズムが席巻しているので、本当にショッキングでした。ああいう映画がこれから出てくれば、観たいなと思っているんですが。

 神谷 グローバリズムではないですが、医療の話と関係がある沢内村のその後について、「いのちの作法―沢内『生命行政』を継ぐ者たち―」(08・日)というドキュメンタリーを昨年試写で見ました。市町村合併で今は違う町になっているのですが、深沢晟雄という亡くなられた村長さんの生命を大事にするという思いが着実に引き継がれて、沢内村のエリアが今も息づいている。後を引き継ぐリーダーの人がちゃんと育っているということ、すごいなと思いました。今年の3月に公開します。

 飯田 医療の関係では「シッコ」(07・米)がよくできていて非常に有名になりましたね。

 神谷 キューバやフランスなどの医療行政とアメリカの保険会社がすべてを牛耳っている医療行政の比較が本当に面白かったです。「おいしいコーヒーの真実」(06・米)という映画では、コーヒー豆が大変なことになっている、という実態をレポートしていました。本当に大変なことになっているようです。

 飯田 本当に良くできたドキュメンタリーというのは感動するのですが、肩がこるところがあって、肩がこらないで見られたらもっといいなと。勝手な願望ですが。

 神谷 でも、そういうドキュメンタリーが出てきたらいいですよね。

 飯田 最後に、アフリカで制作された映画というのは、あまり見たことないですが。

 神谷 ウスマン・センベーヌという人が“アフリカ映画の父”といわれていて、確かセネガルの方で07年に亡くなられました。日本でも公開されている代表作には「エミタイ」(71・セ)や「母たちの村」(03・セ)などがあります。90年代に安価なビデオカメラが普及したことで、自分たちの生活を撮る、という作品が生まれ、今はデジタルビデオカメラが普及して、安く映画ができるようになっています。アフリカでは今後、可能性のある分野として映画製作が広がってきているという状況のようです。

 飯田 時間がなくなってしまったのですが、この対談をお読みになった方がどこでもいいから映画館に行っていただければと思います。私も含めてですが。

 神谷 そうです。時間は作るものなので。

 飯田 はい。本日はありがとうございました。

京都シネマにて
京都シネマにて

【京都保険医新聞第2672・2673号_2009年1月5・12日_2-4面】

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