旧九条家茶室で文化講座をきく

旧九条家茶室で文化講座をきく

 京都府保険医協会は11月30日、第4回文化講座「平安京の実像−王朝京都は本当に“平安”だったか」を旧九条家茶室「拾翠亭」で開催、24人が参加した。講師は、京都市歴史資料館長で京都産業大学教授の井上満郎氏。

講演をきく参加者
講演をきく参加者

参加記 平安京の実像

 講演は、当初の都市計画にもかかわらず平安京の東半分が賑わっていくのに、西半分は荒れていく様子がすでに遷都200年後の随筆「池亭記」に描かれていることの紹介に始まった。さらに「宇治拾遺物語」からは、建都時になかった道路名が庶民生活の発展とともに生じ増加していく様子が見て取れるが、その一方で「大鏡」や「今昔物語」の記載からは、大内裏内ですら妖怪の跋扈さえ想像されるほどに荒れ果てていく様子が窺える。これらの時代は「源氏物語」成立の時期に重なるが、物語に語られる優雅な「平安京」の日常からは推測できない現実である。

 続けて庶民生活に目をむけると、「餓鬼草紙」に描かれた絵や布告である「太政官符」などから街角での屎尿の排泄が日常のこととわかる。「平安京」という華やかな名称から受けるイメージとの間に大きな落差があり、平安京は排泄物処理システムを欠いていたのだ。それだけではなく「今昔物語」からは、路端への捨子も珍しくなかったと知れる。「延喜式」に救済のために悲田院を設けることが規定され、実際に東西2カ所に設置されたが、決してそれだけですべてが救済されたわけでもなかったであろう。

 今回の講演で紫式部の描いた「源氏物語」の日常とは全く異なる、芥川龍之介の「羅生門」に書かれたような暗く恐ろしい「平安京」もあったという別の面をひしひしと感じることができたと思う。

 「平安」に対比して政争・戦乱が語られるものと期待して参加した文化講座であったが、予想外の切り口であった。しかし衛生・福祉という我々医師の関心領域での視点であったこともあり、考えさせられるところ多い講演であったと思う。

 会場の拾翠亭 は約200年前に東山を借景として建てられた九条家の茶室で、庭には九条池とその島に勧請された厳島神社を眺めることができる。冬を除き毎金・土曜日に一般公開されている。

(山科・山田一雄)

京都御苑内の旧九条家茶室「拾翠亭」
京都御苑内の旧九条家茶室「拾翠亭」

ページの先頭へ