文化講座参加記 京都で学んだ「もののあはれ」本居宣長の原点と考察
岡田楯彦(中京西部)
協会は、佛教大学歴史学部歴史文化学科教授の斎藤英喜氏を講師に招き、11月4日に第12回文化講座を開催した。テーマは「本居宣長が見た京都と『古事記』」。参加者は38人となった。以下、参加記を掲載。
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今回の斎藤教授の講義を聞くまでに私が本居宣長について知っていたことといえば、彼が江戸時代の国学者で古事記や源氏物語に関する優れた研究をしたということくらいでした。
彼が京都で学んだことも医師であったことも知りませんでした。
宣長以前は日本書紀の陰に隠れていた古事記を今のようなメジャーな本にしたのは本居宣長であり、彼がそのように古事記に大きな価値を見出したのは若き日の京都での生活が影響したのではないかと教授は述べられ、彼の日記を紹介されました。
“あはれ”という言葉は平安女流文学に頻出しますが、“もののあはれ”は江戸期の歌舞伎・浄瑠璃で使われていた言葉であり、ここにも京都生活が宣長に与えた影響がみられると述べられました。
そして、日本書紀と古事記の違いをヤマトタケルを例に取り解説されました。
古事記にはヤマトタケルはその強暴さゆえ、父景行天皇に疎まれ蝦夷征伐を命じられると父を恨み、悲しみを伊勢神宮の巫女であったヤマトヒメにせつせつと訴える場面があります。
しかし、日本書紀ではヤマトタケルはひたすら天皇に忠実な、泣いたり悲しんだりしない軍人として描かれています。儒教が喜怒哀楽を顔に表さないのを徳とするのに反し、本居宣長はものの動きに触れて動く人間の感情をあるがままに肯定し、そうすることが「もののあはれ」を知ることだとしました。
私としては、神話の中にどのような歴史的事実が含まれているのかとか日本書紀と古事記の違いをもう少し詳しく聞きたかったのですが、やはり時間に制約があり、それはないものねだりでしょう。
最後にこのような興味深い講演を企画していただき、ありがとうございます。
会員先生方の多数のご参加を希望します。