憲法を考えるために39
人権への攻撃
前2回は思想・言論などの自由と、経済活動の自由といういわば二つの自由の後者を取り上げましたが、今回は憲法の基本中の基本たる前者を、改めて取り上げてみたいと思います。
世界のほぼ全ての憲法が依拠するといわれる立憲主義において、なによりも優先されるのは個の尊重と、それにもとづく人権=国家からの(個人の)自由、例えば思想・言論の自由などの保障であり、それは主権在民、平和主義とともに日本の憲法の三大原理の一つです。
そしてこの人権には、1. 自由権:精神的自由権(思想・良心・信教・学問の自由など)と経済的自由権。2. 社会権:生存権、教育を受ける権利、労働基本権など。3. その他―があります。そしてこれらの「自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない(憲法12条)」と定められています。
私たちはこれらの自由や権利はつい自明のこととして、12条のことを忘れがちです。しかし最近、ごく身近でこれらへの攻撃と私には思えることが起こっています。
「今の日本の政治に必要なのは独裁」と公言し、「政治に乗り出した職員は根こそぎはずす」、あるいは「強いものが勝つ、勝ったものが正しい、負けたものは従え、従わないものは切る」ために、職員基本条例、教育基本条例が出され、アンケートに名を借りた思想の自由を侵害する恐れが濃厚な調査が強行されたりしています。
第2次世界大戦後、当時としては理想的と思われた社会民主主義体制を標榜してワイマール共和国は誕生したといわれています。しかし世界恐慌や過酷な戦時賠償の負担などから国民生活は困窮に追い込まれていきます。そしてそのような生活を送る国民へポピュリズム的な一見居心地の良さそうな政策を掲げた政党が、「民主主義の手続きにのっとって合法的に」、そして「地方議会から」勢力を急速に拡大し、国政選挙で圧倒的勝利を収めたのちは、議会制民主主義を消滅させてしまいました。
その後の経過は誰もがよく知るところですが、「近代資本主義の危機に際して、特に議会主義的な方法によって危機が解決できなくなった時期に際して、現れる」と、『アドルフ・ヒトラー 「独裁者」の出現の歴史的背景』には述べられています。
(政策部会理事・飯田哲夫)