憲法を考えるために38  PDF

憲法を考えるために38

経済と憲法2

 「〈帝国〉」(エンパイア―帝国主義など従来の意味内容と異なるため邦訳では〈帝国〉と表記されている)などで著名なイタリアの政治学者アントニオ・ネグリが以下のような発言をしていると聞きました。EUはその金融危機から脱却できるかとの問いかけに、脱却できたとしても「戦後ヨーロッパが築いてきた、人権を尊重し、福祉が進んだ社会はそのすべてが縮小し、民主的な権利、中でも労働者の権利が大きく後退し、雇用格差、非正規労働の拡大など不安定な労働形態が進行、そして貧困が拡大して社会は50年逆行してしまうかも知れない」と。

 日本でも前回述べた「市場原理主義がもたらす競争(そしてその結果としての格差)、規制緩和(例えば労働に関するそれらがもたらす非正規労働者の社会的問題)、「小さな政府」(そしてそれがもたらす、国が担うべき公共性の限りない矮小化)」など、経済のありように起因する大きな転換―「福祉国家」、憲法において具体的には、25条、28条などの大きな実質的転換の岐路に立たされていると思います。

 立憲主義憲法においてなによりも優先される個の尊重とそれにもとづく人権=国家からの(個人の)自由―例えば思想・言論の自由などと、その国家(の力による)福祉との関係は突き詰めれば緊張関係にあります。また思想・言論などの自由と、経済活動の自由といういわば二つの自由において、歴史的にヨーロッパは前者に最重点が置かれ、アメリカでは後者への制限を強く忌避するといわれています。

 そうだとしても1990年代以降のグローバリズムの状況下では、「福祉国家」「公共の福祉」「生存権」などへの対抗概念として「競争」(例えば国際競争)そして「自立→自己責任」などがより優位に立つ概念として強調されています。しかし、平和主義、国民主権とともに、憲法の根幹をなす生存権などを含む基本的人権の尊重が、いわば経済的自由の「競争」などでそう簡単に揺らぐのでは困ります。

 憲法は本来「自立」を前提としているといわれています。しかしそれは、「自立」を妨げる国家の個人の自由への干渉の制限、「自立」を妨げる例えば貧困への施策など社会的条件への国家の義務をさすもので、それらの概念とは無縁な「自己責任」などとは遠いものでしょう。

 貧困問題に取り組んでおられる湯浅誠氏の「衣食足りて、自宅の自室で感じられる憲法と、路頭に迷いながら感じられる憲法とでは、自分自身との距離が違う」という発言は、いわゆる「自立」→「自己責任」、そして「競争」から憲法を守る必要を指摘されているように私には思えます。

(政策部会理事・飯田哲夫)

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