憲法を考えるために(21)
「憲法・政治・協会」
協会がその活動の1つとして、憲法に取り組むことへの疑義を耳にすることがあります。それへの回答を再度試みたい。
国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する(憲法25条)。これは侵すことのできない永久の権利=自由、平等などとともに、基本的人権として定められている(3章)。さらに現在において、基本的人権は平和の基盤なしに存立し得ない。それゆえ平和に生きる権利(平和的生存権)はすべての基本的人権の基礎である(前文)。
我々は医学を学び、社会的な仕組みの中で医療を実践する。社会的な仕組みとは、広い意味での政治的な仕組みといえるであろう。
このことから、協会はいかなる意味においても政治的な活動をしてはならないのであれば、社会的な仕組みの一つである医療制度の改革などを目標に行動を起こすことは困難になる。そして目標に向けて行動するにあたり、さまざまな組織・団体(もちろんこれには医療関係、市民のものも含まれる)と無関係に単独で遂行するのは、その実現性からいって現実的とは言い難い(政党との関係にふれれば、今も今後もそうであるが、「我々の」理念にもとづいて、個々の問題で協調あるいは、最も有効と思われる働きかけが望ましいのではないか。いずれかの主張が似ていたとしても、それは我々が「主体的に」主張することがまずあり、その上での類似性に過ぎない)。
次に協会は医師の団体であり、その活動は医療問題に限定すべきであるとの声も聞かれる。医療が、それ単独で、他の社会的仕組みや問題と無関係に孤立してあるのなら、うなずける。しかしそのようなことは現実にはあり得ないから、医療、医療の仕組みをよりよいものにしていくためには、医療を取り巻く様々な問題に、できる限り目を向けなければ、本来目的とする医療の改善はおぼつかないものになってしまうであろう。
さらにまた、医療に好ましからざる考えを持ち込もうとする勢力は、例えば医療を市場原理主義で考えようとする勢力は、ひとつ医療のみを市場原理主義で考えるのではなく、国のありようすべてを、その考えで決めようとするに違いない。そのとき医療のみに限定して対峙しても、それを押しとどめるのはむつかしい。我々も医療を中心に広い社会の仕組みへの関心のもとで、国のありようを含め対峙する必要がある。
中心的な課題が医療にあるのは間違いないし、持てる力の多くをそれに注がねばならないのもまた当然である。そのことをふまえた上で、ここに述べた理由から、(最初に述べたように)その根底に横たわる憲法問題にも取り組まねばならないのではないだろうか。
(政策部会理事・飯田哲夫)