憲法を考えるために(18)

憲法を考えるために(18)

「防衛をめぐって(2)」

  「防衛をめぐって(1)」では、軍隊の本質、軍隊と市民社会の質的違い、シビリアンコントロールの困難性、軍備の研究・開発が持つ他国の戦争への実質的加担、軍事費抑制、そして核武装など軍事的防衛の問題点を取り上げました。今回は軍事力によらない防衛について考えてみたいと思います。

 まず軍事力によらない防衛とはいかなることをいうのでしょう。まず軍事力によらないのですからその主体は軍隊ではなく、市民が主体になるほかありません(簡潔にするために、軍事的防衛に対して、市民的防衛と呼ぶことにします)。また「防衛」ですから、(外国の侵略に対して)なんの抵抗もしないのとはもちろん違います。では何を防衛するのか。市民の生命・財産、そして自由や民主的な社会ではないでしょうか。しごく当然のことのように思えます。しかし前回述べた軍隊の存在理由を思い出して下さい。それは自国の領土、そして国(組織)を他国の攻撃から守ることでした。ですから軍事的防衛としては、他国に占領されてしまったら、それは防衛の失敗、敗北そのものです。しかしもし、他国に占領されたとしても、市民の生命・財産、そして自由や民主的な社会が守られ、あるいは回復したとしたら、市民的防衛としては一義的には防衛ができた、あるいは敗北から立ち直ったことになります(ですから軍事的防衛であれば防衛が失敗に終わってしまったと考えざるを得ない時点も、初めから軍事によらない市民的防衛では、それが始まりともいえそうです)。私たちの「防衛の常識」からするとなんとも奇妙に感じます。しかしこれが市民的防衛の本質だと思います。私たちが奇妙に感じるのは、防衛イコール軍事的防衛という「防衛の常識」に絡め取られ、そこから抜け出せないからではないでしょうか。

 次に市民的防衛の特徴はなんでしょう。軍事力すなわち暴力によらないのですから、非暴力防衛(抵抗)を基本に置くことだと思います(基本と述べたのは、国家組織としてではなく、市民が武装して抵抗することをどう考えるかの問題があるからなのですが、これについてはここではふれる余裕がありません)。

 それでは軍事的防衛にかわり、市民的防衛を選択するとして、それにはどんな方法があるのか、そしてなによりもその可能性はあるのでしょうか?(続)

(政策部会理事・飯田哲夫)

【京都保険医新聞_2008年10月20日_3面】

ページの先頭へ