憲法を考えるために(16)

憲法を考えるために(16)

「続・九条違憲判決」

 (承前)判決「イラクにおける自衛隊の多国籍軍武装兵士空輸は、外国軍の武力行使と一体化した活動であり、九条一項に違反する」が確定しました。そして三権分立のもとで、司法判断の、その後の司法への拘束力と、その立法、行政への影響力の問題は分けて考えるべきであること、司法が下した(憲法)判断を立法府や行政府が無視することが許されないのはもとより、その判断の尊重は当然であること、にもかかわらず、政治の規範(憲法)に対する、ゆるみ、ないがしろ、なしくずしなどがあること、平和的生存権をめぐって、その法規範性とともに、裁判規範性を明確に認めた画期的な判決であることなどについて述べましたが、今回はなぜ画期的であるかについて。

 平和的生存権とは、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」をさし、これは憲法「前文」に規定されています。

 さて「前文」といえども、憲法の一部であることにかわりはなく、すべての国家の行動を拘束する=憲法の本来的な働きをもつもので、これを「法規範性」があるといい、広く認められています。

 しかし一方、「前文」は憲法の理念を抽象的に述べたもので、裁判を通して、ある具体的な保護、救済などの法的措置を求め得る具体性(具体的権利性)を欠いているので、裁判の規範としてなじまない、すなわち(「前文」を根拠として)裁判所の判断を求められない=「裁判規範性」のない権利との考え方が強かったのです。

 ところが最近は、この「前文」にある平和的生存権を裁判規範性のある権利=具体的権利性のある権利として認める説が有力になってきていたのですが、今回の裁判はこれを明確に認め、かつそれが判決として確定したのです。判決はおおよそつぎのように述べています。

 (1)現在において(憲法の保障する)基本的人権は平和の基盤なしに存立し得ない (2)それゆえ(平和的生存権は)すべての基本的人権の基礎である (3)法規範性を有する憲法が前文で平和的生存権を明言するだけでなく、憲法九条、13条をはじめ3章が個別的な基本的人権を規定していることから、(その基底をなす平和的生存権は)憲法上の法的な権利である (4)さらに判決は具体的権利性を認める論拠を示した上で、その否定論をつぎのように批判します−憲法上の概念はおよそ抽象的なものであって、解釈によってそれが充填されていくものであること、例えば「自由」や「平等」ですら、その達成手段や方法は多岐多様というべきであることからすれば、ひとり平和的生存権のみ、平和概念の抽象性等のために、その法的権利性や具体的権利性の可能性が否定されなければならない理由はない−明快で、画期的です。

(政策部会理事・飯田哲夫)

【京都保険医新聞第2650号_2008年8月4日_5面】

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