惜しまれながら文芸欄が終了“ひっち俳句”20年の連載に幕  PDF

惜しまれながら文芸欄が終了“ひっち俳句”20年の連載に幕

 本紙の「文芸欄」は、1990年7月2日号の「読者のひっち俳句」を始まりとします。同年10月15日号の「読者うたよみコーナー」、91年9月9日号からは「自由詩コーナー」が加わり、俳句・短歌・自由詩のラインナップが出揃います。

 俳句の選者は、故中井脩太郎(黄燕)先生と三嶋隆英先生が交替で担当し、07年3月からは三嶋先生に毎月ご担当いただいています。短歌は故辻喜夫先生(06年12月終了)、自由詩は谷口謙先生がそれぞれ担当。会員が投稿し、会員が選者を務める本欄は、多くの読者に親しまれ、熱心なご投稿をいただきました。

 本欄は惜しまれつつ、今月で終了することになりました。

 今号では、俳句選者を20年の長きにわたり務めていただいた三嶋先生に感謝の念を込めて、投稿者を代表して3人の方からメッセージをいただきました。

 次号は、自由詩の最終回を掲載し、最終といたします。

謝辞  絢子

 「釣鐘草 ふれれば音色 あるように」

 ひっち俳句に、初めて載せていただいた拙句です。中井黄燕先生、三嶋隆英先生に約20年間、お世話になりました。

 両先生は、お忙しい日々のご診療の合間に、選をして下さり、誠にありがたく、頭が下がります。両先生に、心からなる感謝を込めて、これからも俳句の王道(叙景に徹して、言外に気持ちを込める)を歩み続けようと思います。

御礼  珠子

 毎回先生の御批評、コラムを楽しみにしておりました。読んでおりますとイメージがどんどん広がり、違う世界が広がってくるように感じられ、短い間ではございましたが、とても勉強になりました。文学と歴史は密着しているものだということが俳句を投稿させていただく中で、薄らわかりかけてきたところでした。

 先生のお話を読めなくなるのは本当に残念でございますが、このように考えられるようになりましたのも先生のおかげでございます。ありがとうございました。また先生の書かれましたものを拝見できる機会を祈っております。

 激しい変動の社会と気候の中、何とぞお元気にてお過ごし下さいませ。

反省の辞  青磁

 谷口先生、三嶋先生、故辻先生、故中井先生、故楊河先生、長らくお付き合いいただきましてありがとうございました。自ら振り返って、昭和52年開業と同時に、人生の意義は文芸にありと直観的に判断し、自己流で、

 冬柿を見上ぐる空の青さかな 青磁

 と小学生時代の経験を詠んだのがおつきあいの始まりでした。

 その後浮世の塵にまみれ、個人的な自分自身と医師としての立場との共存を念じながら、今日に至りました。今後とも宜しくお願い申し上げます。

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