広場/寒中お見舞い申し上げます
昨12月10日、皆既月食があった。
拙句
濃紺の夜空に浮かぶ熟柿かな 青磁
今年は5月21日に金環日蝕が予定されていると報道され、晴天を祈っている。
一首
お日さまの機嫌伺ふ墨塗りし去年の野分に生れしガラスに 山本政次
と作歌してみた。実は昨年の7月の台風で、我家のガラス戸が壊れガラスが粉々に散乱したのである。大工さんに頼んで修理済みとなったが、どうも納得いかない。イソップの「北風と太陽」を想う。
私事で恐縮だが、今年は70歳を越したが、22歳の時、初めて好きな女ができた。その恋は成就しなかったが、彼女は婦人科医の娘で、「苦しみの中から良いものが生まれる」と信じていて、ぼくも以来それを信じてきた。17年前の1月17日の阪神淡路大震災とか、昨年3月11日の東日本大震災などお見舞された両陛下が、昨年、海の向こうに頭をお下げになったお姿が忘れられない。
ぼくは昭和16年生まれで、終戦直後の小学生である。当時は、母が苦労して作った素人のまったくまずいウドンなど、まともなものは食えない状態であった。亥の子に連れて帰ってもらった時、母の実家にあった柿が実をつけていて、葉はすでに落ちていたのを、毎年、渋が抜けたら、さぞ美味いだろうといつも思っていた。柿を食うたびに我家の小さな裏庭に種を捨てていたが、高校生になった時、小さな木が生え、秋に一つだけ柿の実がなった。
昭和54年、趣味として俳句をやろうと決め、「冬柿を見上ぐる空の青さかな」と作句してみた。中西医報に載せてもらって、当時の会長、正木清忠先生にほめていただいたことを思い出す。40歳を少し過ぎた頃である。
その後、平成の御代になり、保険医協会が文芸欄を作られ、俳句・故中井黄燕先生、故三嶋隆英先生、短歌・故辻喜夫先生、詩・谷口謙先生が20年間選者の労をとられ、ぼくは投稿させていただき、いろいろご指導いただき、感謝しています。
ぼくは現在、俳句は通信講座で続けていて、短歌、詩にもその気はあり、また宗教関係の人たちとも付き合っています。
日本人として記紀万葉の伝統を絶やさぬようにやっていきたいと、ぼくが言うのは僭越ですが、あえて筆をとりました。先生方のご健勝を祈ります。
平成24年1月20日
(中西・山本政次)