家族

家族

谷口 謙(北丹)

九十二歳
寝たきり
骨粗鬆症の婆さんの所へ週一回訪問診療に行く
婆さんは動けない
天井を見続け
ぼくの声を聞くと首を曲げて右を向く
先生のお母さんは別嬪だった
これを毎週一言しゃべる
ぼくは末っ子
母が四十に近くなった時の子供
もの心ついてからもぼくは母が美貌だと思ったことはなかった
お母ちゃん
膝にもたれて甘えた
だが 実は母より父の方が甘えやすかった
父はぼくを叱ることがなかった
近所に父の従兄姉にあたる婆さんがいた
不幸な老女で三高に行っていた独り息子が結核で死んだ
主人は信用組合の大将だったが続けて病で死亡
孤独な婆さんはよくぼくの家を訪れた
村の人々はぼくを坊ちゃんと呼んだ
婆さんもそう言った
彼女は母とよもやま話に耽っていた
ぼくは退屈だった
ぼくは母にもたれかかった
十銭のグリコを買ってくれとねだった
母はきびしい顔をして首を振った
婆さんが言った
坊ちゃんだって飴が喰べたいわなあ
へっへっへっと笑った
婆さんが帰ったあと
母は十銭硬貨を投げつけ
前の菓子屋に行って買ってこいと言った
ぼくが いらん と言ったら
母は激怒して言った
何で人様の前でものをねだる
こんな見幕の母を見たことがなかった
泣きそうになってぶたれる前に逃げた
ぼくは三人姉弟の末っ子だ
長女より一廻り年少である
ぼくは甘えることしか知らなかった
中学生になった頃
母は決して美しいことはなかった
今の年になり
あの時の母の激怒を思い出す
何かが裏にあっただろうか
親戚の婆さんが金をせびりにでも来たのだろうか
放蕩屋の父を持つ母には手持ちの金はなかっただろう
そのやりとりの果てがぼくに来たか
ぼくは満八十三歳になった
七十数年前の記憶は生きていた
父は五十数歳で死んだ
母は八十七歳まで生きた
ぼくは父母に殴られた経験は一度もない
父も母もやさしかったのだろう

【京都保険医新聞第2651・2652合併号_2008年8月11・18日_1面】

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