占領下の「綜合原爆展」(7)/川合一良(下西)
ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ
川合一良氏
1930年6月岡山生まれ、1954年京都大学医学部卒業。在学中に夫人の葉子氏とともに同学会主催「綜合原爆展」に関わり、「『原爆展』掘り起こしの会」を発足させ活動。現在、介護老人保健施設ぬくもりの里勤務。
フクシマからヒロシマ・ナガサキを振り返る
福島の原発事故は核被害の恐ろしさを我々に再認識させるとともに、放射能に関する知識を与えてくれた。フクシマとヒロシマ・ナガサキを比較する時、多くの教訓があるが、特徴的なのは「内部被曝」の問題である。原爆症の認定に当たって国は「原因確率」という基準を用いるが、これは「直爆」だけで判断して、内部被曝をできるだけ無視しようとするものである。このために全国各地で原爆訴訟が起こっており、大部分で原告の勝訴をかちとっている。しかし、いまだに原爆障害では低線量内部被曝を無視しようとする風潮は絶えない。これに反してフクシマでは、近隣の大気中の放射線量が毎日発表され、食物中の放射線量も測定されている。肺と口から入る内部被曝を、国も無視することはできなくなっているのである。ただここで、被曝には閾値はなく、どのような低線量被曝であれ、将来、障害を招く危険性があることを忘れてはならない。
現在、世界が保有する核弾頭は2万発に及んでおり、核戦争の脅威は今も続いている。もしも原爆がひとたび使用されると、それは地球の滅亡を意味する。原発と同じく原爆もあらためて重要視される必要があり、被爆体験の継承は依然として大きな課題である。「綜合原爆展」のような原爆展示は、この課題に応える有効な方法の一つであろう。
原発は即刻廃炉にするべきである
福島第一原発の今回の大事故については、国や東京電力の発表は欺瞞と時期遅れに満ちている。震災翌日には1号機で水素爆発が生じて炉心の核燃料が溶融を起していたのに、発表は「心配ない」であった。東電がそれを認めたのは、事故から実に2カ月もたってからである。格納容器の爆発を回避するために行われたベントや、圧力容器、配管などの亀裂などによって大量の放射性物質が大気や海水中に漏れ出したし、意図的に海に放出されることもあった。そして現在も放射線漏れは続いている。何時になったら放射線の心配がなくなるのか、果たしてこの事故は収束できるのかについては、極めて疑問である。
通常の原発はウランを燃料としているが、原発を動かすと必ず大量の核廃棄物ができる。この中には猛毒のプルトニウムも入っている。半減期は、セシウム137が30年、プルトニウム239は実に2万4千年で、ほとんど永久に存続するのである。しかもこの使用済み核燃料廃棄物は原子炉から取り出した後にも、大量の熱や放射線を出し続ける。この使用済み核燃料を国は再処理してウランとプルトニウムに分離して再び核燃料として使用するとしているが、これも危険な方法である上、青森県六ケ所村に計画中の再処理工場はトラブル続きで稼動の見込みは立っていない。やむなくこの廃棄物は原子炉建屋内のプール等に置かれているが、満杯が近くなっており、保存場所の見通しは立っていない。この使用済み核廃棄物処理の問題は、我々の子孫に大きな負担を残すのである。
このように人間には原発を制御する能力はない。世界有数の地震国に、そもそも原発を作ることは間違いであった。中南海地震などの大地震が懸念されている現在、原発対策で可能なことは一刻も早い廃炉しかない。そして原発撤去へと進まなければならない。
さらに今後、広島、長崎の被爆者が受けているような差別問題は、必ず福島でも起きてくると思われる。将来、原発被害の認定に際しても、原爆被害と同様な問題が生じるであろう。我々市民がよくよく考えておかねばならないことである。
「核戦争防止・核兵器廃絶を訴える京都医師の会」について
この会は、1982年に設立された。国際的な医師組織「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)」の京都支部でもある。このIPPNWはノーベル平和賞を受けている。現在、会員は197人。入会をお勧めする。(おわり)
米軍が撮影した原爆投下1時間後のきのこ雲(広島平和記念資料館提供)
爆発を起こした東電福島第一原発
綜合原爆展のパネルより「平和を求めてこれを追うべし」