医療訴訟の傾向について思うこと(3)
裁判所の「専門委員(医師)」制度について
莇 立明(弁護士)
医療過誤訴訟の裁判官は、司法試験を通って資格を得た法律専門家であるが、例外を除いて医師ではない。医師資格もない。医療には全くの素人である。医学、医療の難しい専門領域に関わる訴訟を医学の素養もない者が裁けるのか。疑問だと言う声が医療界から出たことがある。「専門医療にミスがあるかどうかの判定は医師を裁判官に任命してやらせるべきだ」と論じた医師の本が出たこともある。しかし、裁判には素人である国民の参加が制度的に認められる陪審裁判尊重の時代である(刑事裁判で国民参加の裁判員制度が既に定着している)。また、医療訴訟とはいえ、裁判の手続は法律の専門家に任せないと医師だけではやれない。医師が弁護士の資格も取って、弁護士として訴訟もやるのが理想であろう。そうすれば、上手く運ぶだろう。数年前、アメリカの陪審法廷で弁護士資格のある医師が専門知識をふんだんに駆使して証人尋問をやっている光景を見た。しかし、そんな器用な人は日本ではなかなか出てこない。で、日本では、個別訴訟の医学的知見の分かれるような争点については、裁判所は専門医師を鑑定人として採用してその意見を聞き証拠にする。しかしこの「鑑定制度」は選任手続が煩瑣であり、簡易、迅速に選任にまで漕ぎ付くのに大変である。そこで、個別訴訟の医学的争点について専門医師を訴訟に参加させて、その専門知識や医療の実際上の経験を語らせて、水準からずれた裁判を少なくし、和解などの成立を容易にしようというのが、この「専門委員(医師)」制度の狙いなのである。で、裁判所は、各地の医科大学(関西は大阪高裁にまとめる)に委嘱して各科の専門医師を推薦して貰い、「専門委員(医師)」として委嘱することとした。すでに、立法化して永いのであるが、なかなか、専門委員を受けて戴く専門医が少なく、各地の裁判所は苦労している実情である。各地の医科大学、裁判所、弁護士会関係機関間の協議会を開催して制度の理解と協力を得るための努力を重ねてきている。
「専門医」制度は、発足10年になるが、現実には各地とも思惑通りの運用には必ずしも出来ていない様子である。まず、この制度の導入目的が「専門用語、複数ある専門家の見解の趣旨・相違点・位置付け等について、一般的な専門的経験則に基づき、説明を求める」ことにあるとされ、それが依頼目的の64.5%を占める。実際に選任された「専門医」は争点整理に関与することが90%上、証拠調や、和解での関与が各10%未満である。和解手続に関与した事件の和解成立率は87.5%と高い。しかし、実際の「専門医」は、個々の事件における医療専門的知見を披歴して鑑定医的役割を果たしたいと期待するのが大方であろうと思う。だが、裁判所は、それは鑑定医の職務であり、「専門医」には、そこまでは期待していない、個々の事件にはあまり立ち入らないで、関係する一般的医学知見を教えて欲しいだけだ。「アドバイサー」的役割の期待だけなのだと説明する。しかし、それでは、選任された医師は不満であろう。その程度の「一般的医療知識」を求めるだけなら、「裁判官よ、自分で医学の勉強して欲しい」ということになろう。せっかく、「専門医」に選任された以上、個々の事件の弁論にも証人調べにも和解手続にも出席して意見を述べることが当然の職務だろうと考える。なかには、張り切り過ぎて過誤を犯した医師に患者や遺族にまずは謝罪せよと大声で迫った「専門医」も登場して、裁判官が面食らったこともあったと聞いた。実際、第一線で働いている専門医は、「アドバイサー」的役割程度の仕事で、裁判所の依頼とはいえ、他人の裁判のために割く時間がないというのが現実であろう。制度の見直しが必要である。