医療訴訟の傾向について思うこと(2)  PDF

医療訴訟の傾向について思うこと(2)

莇 立明(弁護士)

医療ADRの現状について

 京都でも医療ADR(裁判外紛争処理機構)を利用する医療事故がぼちぼち増えて来ている。京都弁護士会が立法に基づいて数年前に立ち上げたものだが、医療側の代理のみを扱っている当事務所でもこれまで数件扱い、現在もADRに継続中の医療事故案件が2件ある(京都の簡裁の民事調停には2件医療事件が継続している)。ADRは、裁判所への調停・訴訟提起に比して申立ての手続が簡単で市民には親しみやすい。手続費用も安い。審理の期日が早く入り、数回やって結論がでるといわれた。請求する金額が比較的低い医療事故であれば、患者側は弁護士に頼まなくても自分や家族だけでもやれる。これらの簡便な点がこの制度のうたい文句であり、利用しようという事故被害者がきっと増えるだろうと見込まれてきた。

 しかし、この制度が一斉に全国各地で発足し、実際に手続を利用してみると、いくつかの難点、問題点がでてきて制度の全面的円滑な活用、運用にはいまだ程遠いものがあることが分かってきている。

 まず、私の理解では、医療ADRは、医療ミスの有無を本格的に争う司法裁判所の訴訟(裁判)とは異なり、事故の規模、態様も比較的小さく(患者死亡事故などはおそらく除くであろうと思った)、争点も医療の専門的技術や知見に関わる医学的判断を必要とする事案はなるべく避けて、医療ミス自体にほとんど争いがないか、患者側に生じた損害賠償請求額の三桁まで程度で、損害の計算基準をどこに求めるかに話し合いが期待される案件にほぼ限られるだろう。そうであれば、双方に弁護士が付かなくとも弁護士会選任のADR委員(弁護士)の采配にまかせて和解・示談にまでこぎつけられるだろうと予測してきた。

 しかし、実際はかならずしもそうでもないのである。

 私が、昨年扱った事例だが病院の中心静脈カテーテルの誤挿入で低酸素脳症に陥った50代の男性患者が死亡した事故があった。事故発生当初から患者側は病院の責任を厳しく問責し、弁護士に依頼して警察へ告訴する、診療関係記録一切をはじめ、院内事故調査委員会の調査報告書の提出の要求、家族への謝罪要求、1億円以上の損害賠償を要求してきた。病院側は、事故の内容そのものにも争いがあり、専門医師によるその解明が必至であり、成り行きからみて患者側の言いなりになることはできないと争う姿勢をみせてきた。

 よって、当然に訴訟に発展すると予測してきたのに、意外にも患者側は弁護士会ADRに救済申し出されたのであった。そして、ADRでいきなり賠償額の話合いを希望された。病院側としては、事故の内容について関係医師の医療的、専門的言い分を十分に述べて、患者の死亡との因果関係についても意見を開陳して争うと腹を括っていたので、いきなり和解金額の話に入ることはできないと主張した。このように主張をせざるを得なかった事情として、もしADRで和解ができればいいができなければ訴訟に移行することは、必至である。その場合に、ADRの手続で提出した主張書面や証拠類は和解関係のものも含めて全部改めて裁判所の訴訟手続きに提出せねばならぬ。そのことを、見越してどこまでADRの手続に協力すべきなのか、訴訟手続きではないADRの手続は主張書面や証拠書類はどのような扱いとするのか。良く分からない。ADR委員(弁護士)は、裁判官の経験はないし、医療問題にどの程度造詣があるかも分からない。過去、医療過誤裁判に患者側、医療側代理人で関わったことがあるのかも不明である。裁判所の医療事故をそこそこ専門とする裁判官とおなじ知見や見識を持つと理解することもできない。かようなことで、医療側もADRに対する協力姿勢の焦点が定まらないままの状態にある。ADRについての現在の率直な実感である。

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