医療安全対策の常識と工夫(10)
医療裁判の果てに…
患者さん側に多く見られる傾向ですが、裁判を起こせば客観的な判断が得られると考えがちです。この場合の「客観的」とは、どうやら医療機関側に片寄っていない、ある一定の公平な規則性?(そのようなものはないのですが…)によった、医学的にもしっかりした判断ということのようです。
京都府保険医協会では、極力(無駄な)裁判沙汰にならないようにトラブルの報告があれば、可能な限りその調査を行い、場合によっては医療機関側の過誤を指摘することもあります。これはあくまで助言の域を出ないのですが、患者さん側にも第三者として、何故、このようなことになったのかを医学的に説明して、納得あるいは示談してもらうように努めています。残念ながら、それでも納得されない患者さん側が訴訟を申し立てるのですが、仮に患者さん側が勝訴しても、果たして本当に患者さんは納得できたのだろうか? と思われることがあります。新聞・週刊誌は「1億円、2億円訴訟」との大見出しで報道を続けていますが、患者さんは勝訴しても、ほとんどの場合にそのような大金が手に入る訳ではなく、逆に考えていた以上に少額の場合も少なくありません。「こんなことなら訴訟なんかするんじゃなかった。一体何のために…」という患者さんの溜め息混じりの声も聞こえることがあります。
医療訴訟では敗者ばかりでなく、勝者でさえ後味の悪い思いをするのがほとんどなのではないでしょうか。つまり、こと医療裁判に関しては何処にも勝者はいないように思えるのです。また、医師・医療バッシングは必ずしも患者さんにとっても有益なものとは限りません。2008年以降、頻繁に報道されている「医療崩壊」に拍車をかけることもあります。もちろん、医師・医療機関側がこのような裁判を起こされることのないように、日常診療を心がけることは言うまでもありません。
次回は、患者さんに「誠意」を求められた場合についてお話しします。