医療の不確実性を考える(14)

医療の不確実性を考える(14)

弁護士 莇 立明

「日本は死因不明社会である」か

 「日本は死因不明社会である」との発言が注目を引く(文芸春秋7月号―医師・海堂尊氏論文)。それによれば、「年間108万人の死者(事故であれ病気であれ)のうち解剖されるのは3万人前後(病理解剖、司法解剖含めて)。解剖率で言えば2%台、年間100万人以上の死者が死亡時に死亡原因についての医学的検索を受けずに死亡診断書を書かれている」。つまり「死因不明のまま葬られているのだ」とのことである。

 現に、私が担当してきた医療過誤訴訟においても、死亡診断書では「急性心不全」「急性心筋梗塞」などの病名が書かれているものの、解剖が行われていないために実際の死因が良く判らないケースがままある(「突然死」もあるが、医学的に熟していない用語のようである)。本当の死因が明らかにされないために患者側は医師に過失(ミス)があったのではないかとして紛争に持ち込む。解剖が行われていたら死因がはっきりして疑問も誤解も起きなかったであろうにと思われるが、遺族の感情は解剖を許さず、病院側も解剖を勧めるのに遠慮が有り過ぎる。かくて病理解剖は行われず、司法解剖も死因にはっきりと犯罪の疑いがある場合しか行われない(大相撲力士傷害致死事件も司法解剖されていなかったことが今、話題になっている)。すなわち、「死因不明」の死亡が多いことが、無用な医療訴訟の一因であることは事実である。

 かくて医療死亡事故訴訟は、死因不明であれば、死亡に至る医療過程に医師の注意義務違反(ミス)があったか否かをまず、審理して、ミスが認められれば、そのミスと結果(死亡)との間に因果関係があると医師有責となる。しかし、死因が不明であれば、因果関係も不明ということになりがちであり、本来は医師無責である。そこで、裁判所は医師の帰責を導くための理屈を造る。医師にミスがなければ、患者が死亡した時点で、なお生きていた「相当程度の可能性」があると判断される場合に医師の責任を認めるというのである。苦しい理屈であるが、これも解剖がないための苦肉の策である。

 しかし、医療過誤トラブルでは、これまで、患者側団体や弁護団からは、解剖の推進を積極的に提言されたことをあまり聞いたことがない。

 むしろ、医療死亡事故の死因を究明するためには、当該医療機関の内外に事故調査のための第三者機関を設置して医療側だけでなく、患者側代表、弁護士、また、第三者として学者やマスコミ代表を調査委員に入れろ、調査資料や結果は速やかに内外に公表せよとの要求が続いていたのである。今回の政府の「医療安全調査委員会」設置法の動きは、それに応える意味のあることが想定される。

【京都保険医新聞第2656号_2008年9月15日_3面】

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