医界寸評
秋の夜、パソコンに向かう。原稿締切りに、語りかける話題がない
▼会話では、お変わりないですか?How are you?と気遣いの慣用句で始められる。相手もFine,thankyou,and you?と挨拶を返す。あとは話題に事欠けば、気分の乗らない沈黙の気まずさに続く。病気見舞いなら、只そこに坐り、黙って本でも読んでおれ、との意見もある。医療界では、Fine, でも、not myself, yet…ならば如何にと問診のひと時に花も咲く
▼執筆では、一方的表明に陥らず、読者への関連も必要となる。ネタとは、まずは自分と自分の仕事や環境内での体験的事実に根差して、単に心の思いではない。この体験が、広くsocietyの個々人にも普遍化できて実行でき、効果・安全性の証拠もあれば更によい。例えば、高齢者の転倒骨折防止には、学会推奨のフラミンゴ体操は有効か? 杖1本歩行より2本がよいか?我らが団塊の世代も、3年間で806万人も生まれ、今や高齢者社会の門にひしめき、少子化社会の進展に生活破綻の老後へとまっしぐら
▼心穏やかにとBGMに、都はるみの美声が響く。残暑の秋は「北の宿から」阿久悠が女心の嘆きに込めたその意気遣いが心地よい。
「あなた変りはないですか
夜毎暑さが募ります
読んでもらえぬ論文を
眠さこらえて書いてます
学者心の未練でしょう
読者恋しい仮の宿…」
との替え歌も、詩人の冴えにはかなわない。(卯蛙)