医界寸評
近頃はやる「想定外」、無責任な思考停止の代名詞に聞こえる。大地震・大津波はもちろん、続く原発事故でも繰り返された「想定外」、科学的な論議がそれぞれの組織でどこまで深められていたのか
▼手術に臨む医師たちはあらゆる想定をする。「想像力」もあるだろう。自らの経験をはじめ文献検索も含めて科学的な予測を立てる。その知見に基づいて予見されるあらゆる展開を考慮して手術に臨む。医療において「想定外」は、人知の及ぶ範囲に生身の人間の生活とそれを仕切る法律が入ってくるから難解だ。医療人は永年、医療安全の課題としてこれに取り組んできた
▼しかし今回の震災と大津波、さらに原発事故まで想定した国会質問が過去何度か行われてきたこと、高名な原子力学者(故人)が福島県浜通りにある東京電力の原発の実名を挙げてこれを指弾する論考を発表していたことまで明らかになると、「想定外」がにわかに生臭くなってくる
▼東北地方の各地には数百年前から「この土地以下に住まいを建てるな」という石碑が建っていたという。歴史を作る人々が紡ぎだす知恵の豊かさに圧倒される。この国の科学的英知を代表するような分野で「神話」がまかり通り、被害を拡大したことに怒りを禁じえない。彼らの頭をここまで固陋にしたのが、伝えられる政界と財界、そして学者の癒着とするならば、科学や医療はこれを乗り越えられるのだろうか?(光)