医界寸評
孔子の言葉に「義を見てせざるは勇無きなり」がある。先日、反核京都医師の会が復刻・発行した『医師たちのヒロシマ』を読んで原爆投下直後に調査と救援に向かった、あるいは現地での救助活動に携わった人たちの活動を読んだ。その中には、直後の台風と山津波のために命を落とした人たちも少なくない▼それらの人たちの中でも、医学部関係者達は父母から聞いたことがある人であったり、私達が医学部で教えを受けた人であったりするので、実に身近なことと感じられる。その活動はまさに「義」である▼ところで最近、集団的自衛権が議論されるようになった。これも「義を見て…」と理解できるのかもしれない。そして、それに沿ってまた医師などの医療従事者が戦地に赴くようになるのかもしれない▼たしかに傷ついた人達の救援に赴くのは「義」でもあり「仁」でもあるが、直接我が国と敵対していたわけでもない勢力を攻撃し、そのために傷ついた人達の救護に向かうというのはいわゆる「マッチポンプ」であり、「火事場泥棒」とさえ言われるおそれがあるのではないか。特にそれによって何らかの利得が得られる場合にはなおさらではないか?▼参考文献『医師たちのヒロシマ復刻増補』(つむぎ出版)『軍医殿!腹をやられました』(かもがわ出版)『空白の天気図』(文藝春秋)(mykonos)