医界寸評(は)

 宮沢賢治に「フランドン農学校の豚」という童話がある。その国では王様から「家畜撲殺同意調印法」という法律が布告され、人間が家畜を殺す際には、家畜自身から同意書を得ることが義務づけられた。一見、家畜保護のための慈悲深い法律のようだが、現実には家畜が主人から無理強いされて、泣く泣く蹄で印を押すという手間が増えただけだった。農学校の豚も、執拗な説得を断れず屠殺に同意し、その日が来るのを怯え恐れながら待つのである▼筆者は尊厳死や臓器提供の問題を考える際、いつもこの童話が頭をよぎる。「同意」は自由な選択に任されているように見えても、周囲からの無言の期待や圧力と、決して無関係には成しえない▼先月衆院で可決された臓器移植法改正案における「家族の同意」もそうだろう。移植に携わる医師や移植を待つ患者団体がこの案に賛成するのは理解できるが、一方で多くの国民の意識はどうなのか。映画「おくりびと」が共感を集め、先進国中で剖検率最低のこの国では、遺体でも傷つけたくないという心理は根強い。それは意識の後進性などではなく一つの「文化」だろう。また、移植が無前提に善とされる社会になっていくと、役に立つ生命/役に立たない生命という差別観まで助長されないかと危惧する▼目下、国会議員は選挙で頭一杯のご様子だ。これは果たして彼らの多数決に任せてよい問題なのだろうか。(は)

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