医師の診る風景 北丹より(3)(旧網野町編)  PDF

医師の診る風景 北丹より(3)(旧網野町編)

上田 誠(北丹)

SRTを外来で指導

 北丹医師会は京丹後市の医師会です。京丹後市は、平成の大合併で、それぞれ人口1万人前後の丹後6町が一緒により市制が敷かれたのですが、医師会はその前から6町を跨いだ組織であったため、京丹後市医師会ではないのです。合併前は、6町がそれぞれ自己完結的な形で存在しており、各町それぞれが病院を町内に持とうとしていたため、合併時6万7千人の人口に対し、病院が四つある状態でした。

 合併を期に、病院の統廃合、少なくとも病病連携に拠るネットワーク化が検討されましたが、住民感情を考慮して実現せず、現在も医療体制は合併時と変化ありません。

 市内に中心となる医療機関が存在せず、高次医療機関に紹介する際、市内の4病院のどこにするのか、はたまた市外の北部医療センターか、隣県の豊岡病院か、何時も頭を悩ませるところです。隣の与謝医師会では北部医療センターを中心とした病診連携が、日々深化しているなか、北丹医師会では、前提となる病病連携が進まないことから、市内での病診連携も確立が図れない状況が続いています。

 合併後12年が経ち、人口が1万2千人減った中での変化は、言うまでもなく極端な少子高齢化です。

 外来を訪れる高齢者は、80歳代は当たり前、90歳代も珍しくなく、100歳を超える方も通院されています。その外来でこのところよく行う指導があります。

 「『もう年やからええわ』って言ったらあかんで。自分で自分の面倒見られんようになったら、これだけ年寄りが多いんや、昔みたいにいろんな人が面倒みてくれへんで。若い時は少々さぼってもどうということないけど、年とったらすぐできんようになるで」。

 そう言って、スローレジスタンストレーニング(SRT)を実践して見せています。今年還暦を迎えましたが、こんなことを偉そうに言っている手前、SRTの手本ができなくなった時点で引退かなと考えています。

 ウィキペディア「京丹後市」のなかで、2014年閉校と誤記されている網野南小を含め複数の学校医、園医をやっていますが、子どもの減少は凄まじい限りです。そのなかで最近少しうれしかったのは、以前からの東南アジア系の子達の他に、白人や黒人の子達が見られるようになったことです。子の頃から色んな肌の人に接することができるのは、将来に役立ついい経験のはずです。市内に米軍のレーダー基地ができ、町内にその専用住宅が建設されたことも一因のようです。ヘイトスピーチ規制法ができているにもかかわらず、その住宅の直ぐ傍に、「米軍関係の困りごとはこちらにどうぞ」などという看板が掲げられる人権感覚には、がっかりさせられますが。

 

筆者プロフィール

北丹医師会副会長
昭和56年:米ミネソタ州マカレスター・カレッジ卒(心理学専攻)
昭和63年:佐賀医科大学(現佐賀大学医学部)卒

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