医師の診る風景 北丹より(2)
齊藤 治人(北丹)
環境は変わっても感謝の心は忘れずに
私が父の後を継いで久美浜町で開業したのは1988年(昭和63年)です。開業当時の高齢の患者さんの多くは明治生まれでしたが、現在はほとんどいません。
往診、看取りも開業当時はたくさんありましたが、現在夜間の往診も自宅での看取りも急激に減りました。昨年は死亡診断書を4通書きましたが、ここ数年看取りは0〜2件です。
高齢化率34%の当地では、高齢者の独居、老人世帯が増えています。高齢になるほど認知症になる確率は高くなりますが、当地区も確実に増えています。そうなると独居や、老々介護では自宅での生活が難しくなり、都市に住む子どもの住居近くや、当地区の介護施設に入所となります。
子どもや孫との同居世帯も多くにぎやかに暮らしているお年寄りがいます。一方で同居といっても、親は離れに住み、土日は食事を一緒にしたりしますが、平日は子どもは仕事があって外にでているなど、日中独居となる方も多いです。以前から高齢化、後継者不足が問題の、果樹農家が老齢化で仕事ができなくなり涙ながらに梨や桃の木を切っています。
訪問診療や寝たきりの高齢者の家族から依頼され往診していても、最期は病院を選ぶ家族がほとんどです。介護を分担できる家族が少ないこともあるでしょう。
開業当時の看取りは、医師1人で完結させるものでしたが、介護保険が始まってからは、訪問看護、介護関係者等との多職種協働での看取りに変わってきています。そこでは情報の共有とともに、最期まで連携を維持することで各専門職の力が十分発揮できるものと思われます。
11年前に保険医協会の垣田現理事長に頼まれ、北部の介護について書かせてもらった『京都の介護現場から提言する』を読み返してみると、当時は「子どもは親のすることをじっと見ている。子どもは親がしたようにその親にする」と施設入所があたかも悪いことのように書いています。当時と今を比べると、自分が変わったのか? 世間が変わったのか? どちらもが変わったのでしょうか。現在介護において入所はなくてはならない選択の一つですが、自分を育ててくれた親に対する感謝は忘れてはなりません。
少子高齢化が進む当地では今後、認知症、介護、看取りはどうなって行くのか。
両親を送り還暦を過ぎた今、認知症になる前にエンディングノートを書かなければ…。
筆者ごあいさつ
1955年京都府京丹後市(旧熊野郡久美浜町)生まれ。藤田保健衛生大学医学部・大学院博士課程修了後、1988年12月より斉藤医院、湊分院を開設。父の後を継いで28年目。趣味は家庭菜園。船舶1級、自動二輪免許を持つがペーパー。2013年から北丹医師会会長。