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百年来の大不況/加藤善一郎(下西)
最近の世界的大不況は、百年来の…と言われている。世界の主な国々の米国への期待で、世界のマネーが集まった。そして集まりすぎて、マネーフローが異常になり、いわゆる金あまりがマネーゲーム化し、変な逸脱が偏在を惹起、米国としては住宅問題由来もあるが、この金余りの上に、物余りが、不況を招いたのではないかと思われる。ただ日本は資源のない国であり、マネーを追求せねばならぬ宿命があり、対抗される保護主義は、最も耐えられないものではある。
ここで百年前を見てみよう。我が国では明治42、43年に当たる。当時の総人口は5千万強ではなかったろうか、そんな中での数年前の日露戦争で、沢山の戦死者を出していた。あの日本海海戦で、快勝し世界の一等国として雄飛できたが、ユダヤ財閥に支えられた戦費が莫大で、その債務もあったわけで、顧みて十年前の日清戦争は賠償金で報われたのが、今回は南樺太の割譲だけで終り、戦後交渉の小村全権は石礫で迎えられる帰国となったのである。そしてこの数年は、大不況であったことは、容易に察せられるのである。
やがて、大正初めの第一次世界大戦の勃発、粗悪品でも売れに売れる好況となり、英米側についた我が国には、南洋諸島委任譲渡があった。
この前後、世界的には、夥しい近代経済の学者が輩出した。その因は百数十年前からの科学技術の開花によるいわゆる産業革命があり、あまりの速さで貧富の格差が拡がっていたのがその主因であった。そして周知の如く屹立したのは、独のマルクス学派の史的唯物論、階級闘争論などと、英のケインズ学派の近代金融論など、であろうか。それらはロシア革命や、世界経済における指標になっていったのである。
我が国は明治以来の国民皆兵制が、変な意味ではあるが、少しは失業対策にでもなったようで(ピラミッドも公共失対であったとか…)、この大好況もやがて終る。大戦終結が主因だが、スペイン風邪(焼き場が焼ききれぬ死者)。次いで関東大震災でとどめをさされた。そして発生したのが昭和2年を頂点とする世界的大恐慌であった。当然我が国も苦境に陥れられていたのである。
これらからの脱出と打開のためにいろいろと模索された目に、やや弱体の地方軍閥の支配する中国東北部(後の満州)がターゲットに浮かび上がったわけで、軍出先の関東軍が戦功をたてたが数年後、国共内戦たけなわの中国へ進攻し、この出先関東軍が中央の軍実権を把握することになり、十五年戦争の発端といくらかの踏み込みになった。そして、2・26事件でまず重臣を制し、止むに止まれぬ戦争へ進んでいったのである。満州事変に異を唱えた国際連盟に、小柄な松岡全権が連盟脱退をし、スターでもあった。後年、軍の強圧で、日独伊三国同盟に調印した後、「オーミステイク」と呟いたのも松岡外相であったと聞いている。
そして悲劇の敗戦(敵を知らなさすぎた)。生か死か、何もないどん底。誰でも身内を失って、それも前線では、戦うよりも飢えて死ぬ惨めさ(頼みの輸送船の墓場の最たるものバシー海峡)。敗戦のどん底を不思議な生き残りの身には平和なればこそではあるが、その中での繰り返される好、不況など、心静かな消光の中で耐えられるはずと、相共に推察されるのである。