会員投稿/歩くことで/渡邉賢治(西陣)

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歩くことで/渡邉賢治(西陣)

 もう5〜6年前からか、地下鉄の今出川駅から今出川浄福寺にある診療所まで歩いて通勤している。歩き始めたきっかけは、なにも運動らしいものをしていなかったので、少し歩いて運動不足を解消しようと思ったのが始まりだった。

 ところが、歩き始めると、歩くということで脳が活性されるのかいろんなことが頭に浮かんでくる。今書いているこの原稿もこの時に浮かんできた。

 朝、診療所に向かうときは、その日の手術のイメージが浮かんできたり、どちらかといえば前向きな思いが湧いてくる。帰り道は、その日の診療であったことが思い返される。この帰り道は反対に、診療でのいい思いが湧いてくることは少ない。

 「患者さんへの説明が少なかったんじゃなかったかな?」「伝えたいことがちゃんと伝わったかな?」「強く言い過ぎたかな?」「どうしてわかってもらえないのかな?」などなど、思わず「ア〜ッ」と声を出したくなることが浮かんでくる。

 でも、歩いている時はその思いも分析してくれる。一人の患者さんを診察する時にある程度時間はしっかり使って診察しているつもりだが、やはり制限がある。私としては、患者さんの今の状態や今後の治療についてしっかり話しておきたい気持ちがある。一方、患者さんはそのことが一番大切だが、今まで悩んでいたことや苦しかったことを全部話してすっきりしたいという気持ちも多いと思う。その気持ちはとても理解できるし、しっかり聞いてあげたい気持ちも十分ある。やっぱり時間が少ない。このジレンマが「ア〜ッ」と声を出したくなることにつながるのだと思う。

 最近は、歩いている間、いろんなことを考えたり分析したりしていることが私にとっていい影響をあたえたのか、患者さんが自分の言いたいことを一気に話してきて、なかなか私の話を聞く態勢ができない時も、あまりカッカすることなく、「長い間苦しんでいたんだな」と優しい気持ちで対応できるようなってきたように思う。昔、私の父が、「患者さん一人ひとりをしっかり診察していくことが大切だ。あせることはない」と言っていたことが思い出される。自分にとってチョットしんどいなと感じる患者さんほど、いろんなことを教えてくれるのだと思う。

 これからも、この歩いている時間を大切にしていこうと思う。運動不足の解消にもなるので。

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