主張/市場原理主義と決別し“低福祉”からの脱却を

主張/市場原理主義と決別し“低福祉”からの脱却を

 麻生首相は今国会の施政方針演説で、今後の日本のあるべき姿として“中福祉・中負担”を目指すと述べた。今が“低福祉・低負担”との認識を示したことになる。骨太の方針では、小さな政府を目指すとして社会保障費毎年2200億円削減が実行され、これが医療崩壊を加速させた。介護や年金、雇用、子育て支援を見ても確かに“低福祉”である。後期高齢者医療制度では、国民の大反発に譲歩をして保険料引き下げ措置が取られ、医師不足対策その他諸々で09年度予算については削減額が230億円に縮小された。しかし、これはあくまで“激変緩和措置”に過ぎない。もし本当に“中福祉”(その内容は不明だが)を目指すのであれば、それは明らかな国政路線の転換であり、“小さな政府・社会保障費抑制”を撤回しなければならない。ところが、それは絶対に言わない。時の流れに国民の関心が薄れ、反発が弱まれば抑制復活の構えである。これでは“中福祉”は欺瞞の方便に過ぎない。あるいはこの中途半端さが“高”ではない“中”福祉の意味か。

 他方、“中負担”とは消費税増税と同義語的に語られる。しかしそれは議論の倒錯である。先ずは膨大な税金無駄遣い(例えば、天下り特殊法人などへ年間12兆円も税金を投入し役員報酬や退職金に使われている無駄など)、様々な金持ち優遇税制(株主優遇税制や法人税率の引き下げ、累進課税率の引き下げなど)の是正を徹底的に行うべきである。法人税や累進課税引き上げには異論もあろうが、少なくとも過去の税率までは戻すべきである。消費税増税が必要ならこれらの達成後に提案されるべきである。

 昨今の世界金融危機・不況は結局、新自由主義経済のグローバル支配、日本においては規制緩和・構造改革路線の破綻の証明である。この路線の下に、銀行等はマネーゲームを展開していった。その結果、失敗しても“自己責任”のはずだが、膨大な税金で救済される。ということは大企業や銀行には非常に高い公共性があるという証左である。そうであるなら、それに見合った国家内での位置づけと規制を課すべきである。更に言えば、公費投入に際し役員の経営責任が追及されるべきである。

 最近、中谷巌氏が自己批判・小泉構造改革批判を行ったが、これは“市場原理主義”下では国家経営を過ちに導くとの認識であろう。日本においてもトリクルダウン注)は起こらず、大多数の国民を幸せにしなかったのである。日本の政治家や経営トップは“アメリカ発”(日本に責任は無い)だの“百年に一度”(予測不可能)だのと言い逃れせずに、自らの国家政策の根本問題として捉えるべきである。

 即ち、真摯に“中福祉”を目指すというなら、“市場原理主義”から決別し、その対極として例えば“福祉国家建設”(北欧型とは限らない)を打ち上げるべきである。アメリカがどう変わるかは知らない、しかし我国においては、今こそ多くの国民の意志として、全く新しい国の姿を模索・提起すべき時が来ている。

 注)富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が浸透するという経済理論あるいは経済思想。「おこぼれ経済」とも通称。

ページの先頭へ