主張/地方分権「補完性原理」に潜むもの

主張/地方分権「補完性原理」に潜むもの

 地方分権での補完性原理とは、行政が行う社会的な事業はまず住民に身近な自治体が行い、それができない場合に(限り)広域自治体がそれを補い、(最後に)自治体でできないことは国がそれを補うというふうに、各自治体間、および自治体と国との関係を規定しようとするものであるが、その問題点について。

 例えば民主党マニフェスト・分権改革の項では、次のように使われている。「地域主権国家の母体は基礎的自治体(現在の市町村)とし、基礎的自治体が担えない事務事業は広域自治体が担い、広域自治体が担えない事務事業は国が担う、という“補完性の原理”に基づいて改革を進めます」。また、地方分権改革推進委員会・第3次勧告でも、「補完性の原理、近接性の原理など国と地方の役割分担の一般原則を徹底…義務付け・枠付けの見直し」と書かれ、この「義務付け・枠付けの見直し」(=緩和)が国政が担うべき範囲の縮小につながるとの指摘もあり、それをもふまえて補完性原理を補足すると、以下の可能性が潜んでいるのではないだろうか。

 「個人で解決できることは個人で、地域でできることは地域コミュニティーで、さらには、市町村、都道府県、そして、国へと問題解決の範囲を徐々に移行させていく」(経済同友会)にみられるように、まず最初に、何事も(行政に依存せず)自己の責任で行うべきであるとする、構造改革議論で繰り返されている自己責任(自助)が基本にある。そしてその次にくるのが、家族の助け合いから、地域(民間)の助け合い(共助)であり、それからやっと行政(公助)が行われる。この補完性原理は、自己責任・家族責任・地域(民間)責任を社会に対する責任の最も基本で重要なものと捉えているといえる。さらに公的な責任にも序列があり、国が関与するのは最後の最後である。これは国の責任の縮小や、国が国民の安全や福祉を責任をもって遂行するべきである、との考え方に逆行する危険を孕んでいる。

 地方自治は自治体が、その権限と責任において自ずから行政を行い、それはその自治体の住民の意思と責任に基づいてのみ行われるのを旨とする。地方分権推進は自治体の権限の拡充もさることながら、住民自ずからの民主主義の実現としての自治の充実がその目標であり、地方分権推進が国として本来あるべき責任からの撤退に繋がるようものであってはならないのはいうまでもないことである。

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