主張
この一年に思うこと
「暖冬だ、暖冬だといわれた割には寒いね」と普通の“冬”の会話が交わされていた。京都には珍しく大みそかに雪が積もり、市内の交通麻痺も経験した。お商売の方がおせちを届けに行けなくて苦労したという話も、年始が始まれば過ぎた話として酒の合間に語られ、雪国の大変さを語る一遍の彩り話で過ぎるはずだった。3月のあの日までは。
あの日、その数日後に胸部大動脈瘤の手術を受ける知人と“もしもの別れ”もこめて、一杯やろうかという約束をしていた。場所と時間が決まっていなかったので、「今か、今か」と連絡を待っていた時に電話が入った。「おう、何時にどこで?」と答える私に「先生!すぐにテレビつけてみい、えらいこっちゃ、東北で大きい地震があったらしいわ。今日は止めや、止めや」と叫ぶ無粋な声が聞こえて電話はすぐに切れた。
協会会員にとっても、府民にとっても、今年の春はこういう形でいきなりほっぺたをひっぱたかれるような“非日常”で訪れた。もちろん当事者である被災地の方々やいまだに行方も知れない身内・知人を慮る人々の胸中には届かない、思いを伝えられない焦りやつらさがある。忸怩としてある。
国を挙げての、いや国際的にも思いもかけないような支援の申し出があり、緊急援助隊も到着した。阪神・淡路の例を出すまでもなく、今度の大震災は巨大な津波がそのあとに続き、地震で崩壊した原子力発電所の破壊という人災も加わって“想定外”などという噴飯ものの識者・専門家(?)の発言も当時は相次いだ。
京都協会も最大限の支援を計画し、会員への募金依頼や理事長をはじめ被災地への派遣・支援物資の送付・義捐金などに精力的に取り組んだ。これらは時宜を得た支援として各協会からの返信につながっている。あらためて会員の先生方には深謝する次第である。
さて旬日を経ずして新年度を迎える。多くの試練を乗り越えた(?)国民にとって、つらく厳しい寒気はいまだ消えるわけではない。被災者の生活に思いを寄せるかたわらで、社会的に追い詰められている人々にも思いをはせたい。この国民の上に襲い掛かってくる「消費税増税・医療制度改悪」にも一層のご支援をお願いして、どうかよいお年を。