下鴨神社みたらし祭  PDF

下鴨神社みたらし祭

郷原 憲一(左京)

 夏の土用の頃に、下鴨神社では境内の池に足を浸して無病息災を祈願するみたらし祭が行われます。池の深さは大人のふくらはぎくらいなので、ズボンやスカートを捲り上げて池に入ります。池の水は境内の湧き水とかで、とても冷たい清浄な水です。最近では、入り口のところでいただいたローソクに石垣の龕灯に灯っている火を点して石段の上がり口に備えられたローソク立てに供えます。この火を風などで消されないように静かに滑らかに歩くのがかなり難しいのです。地元の子どもたちでしょう、水着を着せてもらって、冷たい水をものともせず、池の中を走り回っている元気な幼児たちもいました。

 夜になればローソク立てに何百本とかたまって燃えている炎の輝きは、池の面に反射して美しいのです。私が第二下鴨小学校(今の葵校)に通っていた昭和12年頃は、ローソクも何もなくて、ただ足を冷たい水に浸けるだけの子どものためのお祭かと思っていました。最近では集い来る人々も多く、ただローソクを供えるだけでなくご神水の授受のための水壷が用意され、無病息災の上、健脚祈願として足型の祈祷木も用意されています。

 下鴨神社と私のことを語ると昔話になりますが、夏休みになると毎朝、学校の校庭でラジオ体操があり、それが済むとスタンプをもらって下鴨神社へ参拝に回ります。この時なぜか皆走って行くので、近道を選びます。泉川沿いを南へ、それから膳部町の狭い道をひしめきながら松ノ木町へ抜けて走るのでした。神社でもスタンプを押してもらい、あとはそれぞれの家の方へバラバラに帰っていくのでした。

 学校から皆で揃って下鴨神社へ参拝にいくことが年に二度ありました。あれは新学年の始まりの時とか正月とかだったでしょうか。もう一つ、秋に「お火焚き」という祭(?)があって、お饅頭がもらえたので子ども心によく覚えていますが、それを学校でもらったのか、お宮さんでもらったのか…。

 私は昭和16年から30年まで下鴨泉川町の糺の森のすぐ傍に住んでいて、同志社中学から府立医大と歩いて通っていました。中学生のころ出町橋は狭い木造橋でちょっと大雨が降ると、流れたり壊れたりして通行止めとなり、河合橋(高野川)から賀茂大橋を迂回しなければなりませんでした。

 出町橋の西詰の種源の前まで帰ってきたとき、出町柳駅で叡電を降りた同志社高商のリーダークランツの学生が3〜4人で朗々と合唱しながら、夕闇迫る土手を歩く声がひろい川幅を越えて美しく響き渡って「スゴイなあ…」と感心したのも良き思い出です。

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