シリーズ 環境問題を考える(106)  PDF

シリーズ 環境問題を考える(106)

人災としてのパンデミックの犠牲者たち インフルエンザについて考える

 『いったいなぜ、いつもはちょっとうっとうしい病気でしかないインフルエンザが、第一次世界大戦末期になって数千万もの人々の命をむさぼり食うようになってしまったのだろうか?』(Crosby)

 一昨年6月、1918年のパンデミック当時、欧米をはじめ、全世界的にインフルエンザの「治療」のために、今では考えられないほどの大量のアスピリンの服用が公的に推奨されていたことを知り、その影響の大きさを指摘しBMJに投稿した。特に多数の若者の犠牲者が問題になったアメリカでは、第2波のはじまる1カ月前の9月13日に、公衆衛生局長官のRupert Blueがアスピリン推奨の指示を出し、海軍や医師会誌でも推奨した。その結果、翌月の第2波では、青壮年層を中心に激烈な犠牲者数の増加をうみだすこととなったのである。ほとんど時を同じくして、ライ症候群とアスピリンの関連を疫学的に実証してこられた、今は全米ライ症候群協会の顧問でもある、Starko先生が、Clinical Infectious Diseases の09年10月号にAspirinand 1918-19 Influenza Motarityとして、より詳細に、その実態を明らかにしてくださった。投与量は、8・0〜31・2g/日にも及んでいた。奇妙なことに、アメリカのCDCによるパンデミックの詳細な記録には、何故か1918年のこの事実は伏せられたままだ。

 インフルエンザによる死亡率が1000分の50と極めて高く、犠牲者の数も1600万人を超えるとされたインドでも、イギリスの統治の及ぶ地域で「治療」を受けた人々は、町でも監獄でも、当時のイギリス政府がまとめた報告書から、アスピリンを中心とした投薬を受けていたことがわかる。また、当時のイギリスの植民地であった人口3億のインドは、後に独立運動の父とされたM・ガンジーですら、当時「みかえりの独立」に期待し、参戦に積極的に協力していたように、兵士としてのみならず、医師も医療関係者も総力がイギリスの参戦に動員されていた、財政は破産状態で国民は疲弊の極にあった。そんな中に、復員兵を介して、インフルエンザが入り込み、医療には無縁であった貧しい人々の多くの命をも奪っていったのだ。

 ITなどハイテク産業の成長著しい人口11億の今日のインドでも、いまだ、国民の35%は一日1ドル以下の収入におかれ、飢餓指数(Hunger Index)も世界最高で、5歳以下の子どもたちの47%が低体重で、州によっては、50%以上の子どもが栄養不良状態とされ、新型インフルエンザによる死亡率も驚くほど高いが、当時の悲惨な状況は想像を絶するものがある。地球人口60億の今日でも、貧しく栄養状態の劣った開発途上国では、インフルエンザとは関係なく、毎年、5歳以下の子どもの560万人が主に感染症で命を落としている。

 日本も、当時、いまだ、労働者を対象とした健康保険法(1922年制定)すらなく、庶民が医者にかかれるのは死ぬ時くらいで、大半の国民は、置き薬などの売薬にたより、シベリア出兵の一方、「米騒動」が起こるほど貧しく、低栄養の状況におかれていた。軍隊や、公的機関の勤務者や、金持ちだけが医師の手当を享受できた。そこではアスピリンが処方された。また、貧困と低栄養状態は免疫力を損なわせ、かっての結核がそうであったように、多くの庶民の生命を奪うこととなったのだ。

 今日、永年の自民党政治の結果、貧富の差は拡大し、全勤労者世帯のうち20%もが、ワーキングプア世帯だという深刻な事態が生み出されている。増大する失業者、高すぎる国民保険料と非情な保険証のとりあげ、増大する無保険者のもとで、 医療機関にやってこれない人々も増えている。他方、ドラッグストアでは危険なNSAIDS製剤も解禁されている。このままでは、インフルエンザ感染症による不幸な犠牲者の増加が気がかりである。

(環境対策委員・島津 恒敏)

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