グローバリゼーションと医療(4)/野村 拓  PDF

グローバリゼーションと医療(4)/野村 拓

グローバル・ボトム・ライン―「下には下がある?」―

 グローバリゼーションの動機をごく単純化すれば、資本が国境を越えて、より安い労働力と資源を求めたことだろう。この過程は、同時に海外からの安い労働力を導入する過程でもある。医師不足の東南アジア諸国が、なけなしの国費で養成した医師がアメリカに流れ込んでFMG(Foreign Medical Graduates−外国人医師)として統計化され、占めるウエートの高さが問題視されたのは1980年代であった。カリフォルニアの巨大HMO(Health Maintenance Organization−任意加入・健康管理付き民間保険のようなもの)の管理者が「麻酔医を相場の半値で雇った」などと得意がっていたのも、そのころであった。

 また、医師ではなく、単純労働の方では、「労働市場における性、階層、人種差別は限界低賃金、限界的生活条件のところにアジア系女性を集める」という指摘が、1995年段階ですでになされていた(Norma Daykin他編:Health and Work.1995.Macmillan)。そして、このような低賃金の相場づくりのことを「グローバル・ボトム・ライン・オリエンテーション」といった。バングラデシュの縫製工場あたりがイメージされる言葉である。

 生産拠点を海外に移すことによって、国内の失業増加に貢献しているはずのユニクロの店が比較的大きな駐車場を持ち、道をはさんで自転車の置き場にも困るハローワークの訪問者たちに「うちの駐車場を使わないよう」に警告している京都の風景もグローバリゼーションの一環である。

 このような状況に対して、地球市民はひざ小僧を抱えてうずくまっているわけではない。まず、怒るべきは、低賃金の相場づくりに利用されている「第三世界」の女性だが、この点については(図1)のように「第三世界」の女性の闘いをまとめた本(Ligaya Lindio-McGovern他編:Globalization and Third World Women.(2009)Ashgate.)が出されている。また、「途上国のボトムにとってグローバリゼーションとは」を広くケース・スタディした本(Nita Rudra:Globalization and the Race to the Bottom in Developing Countries.2008.Cambridge Univ.Press.)も出されているし、資本が国境を越えて勝手なことをするのだから、我々も国境を越えた連帯を、と「グローバル連合」を提唱しているのが(図2)である。(Kate Bronfenbrenner編:Global Unions.2007.ILR Press.)。

 グローバリゼーション時代とは、ある意味で、勉強しないと展望が持てない時代である。

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