わたしのすすめる詩集
詩集 雪 谷口 謙著
2013年10月25日発行、土曜美術社出版販売、2,000円+税
感傷を殺すことで滲む抒情 生きることと詩人の「言葉」について
帯には、こんな言葉が刻まれています。
今年も大雪でした。私は八十七歳になり、/老妻と二人で同じ雪国の丹後の地で暮らしています。/もう仕事は出来ません。/満八十歳で医業は止めました。/丹後六町は合併し、京丹後市になりました。
装丁を見てみましょう。空色に、白銀に覆われた木々の枝が映る。雪の桜でしょう。ここが、詩集『雪』への扉です。
谷口先生を知る人たちは、奥丹後の雪深い土地で詩作品を紡ぐ、先生のお背中を思い浮かべながら、この扉を開くことになるのでしょう。
一編ずつ、詩行を追いかけていきますと、言葉の一つひとつはもちろん、行わけの仕方に、今の谷口先生の呼吸があります。
詩集『雪』に収められた作品のどれもが、先生の呼吸が詩の形へ昇華したものに思えます。ある時には、「詩を書く」という営為は、「生きる」ことと同じ意味になります。いや、ある時には「詩を書く」ことは「生きる」ことを超えるかもしれない。だからこそ、紡がれた詩人の言葉は軽々しく置き換えることができないのです。私は詩集『雪』全編を通じ、そのようなことを強く受け取ったのでした。
もうひとつ、ある意味ではもっと強烈に受け取ったことがあります。それは、感傷を殺すことで滲む抒情、とでも言うべきものでした。
このことは、これまでの先生の詩集を振り返っても、際立った特徴と思います。
それはどういうことか。
たとえば、雪という詩を読んでみます。(詩集では「雪」と名打たれた詩は3編。いずれも、雪*雪** 雪***と、アスタリスクが雪のように落ちるのです。他に、「春の雪」という作品も)
いくたび/雪の詩を書くだろう
という言葉ではじまる、「雪**」。6行目から、
老人は外には出られない/出てはいけない/閉じこもり温室を作り
先生は、たぶん、あたたかな自宅の部屋で回想する。9行目から、
三八豪雪なる名の雪の年があったな/昭和三十八年/あの頃は元気だった
そして、「ぼく」は雪道で「ぼくに声をかけ」てくる「中学の女生徒」のことを想う。16行目から
中学の女生徒がてきぱきと歩く/ぼくに声をかける/道をゆずってくれたこともあった/あの子たちも/もう中年から老年の始まりだろう
しかし、21行目。詩人はその感傷的な回想を突然否定する。
雪は感傷を殺す
そして、叫ぶようなつぶやきを刻むのです。
ぼくの生とは何だったんだろう
思えば、一連の「検視」を通した先生の仕事は、感傷性を拒むことで貫かれていたのではないか。
にもかかわらず、読み手である私たちは、感傷性を拒む詩の姿に、むしろ医業を通じ、心を傷つかせつつ、医師として奥丹後で生きる姿を、固い決意の裏側から滲む繊細な抒情を感じるのです。生きる、ということに裏打ちされた、詩。詩、というものに裏打ちされた、詩。
谷口謙という詩人の仕事は、そのようにして、雪のように、これからも私たちに積り、染み透るでしょう。ぜひ、手にとってほしい1冊です。(S・N)
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新刊 詩集 村
2012年11月30日発行、土曜美術社出版販売、2,000円+税