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なんでも書きましょう広場

定年と千円

 2年ほど前から映画が1000円で見られるようになった。定年の特典であるが、複雑な気持ちにもなる。年をとって理解力、感動の鮮度が落ちたため、1800円ではなく1000円分しか映画の楽しさを享受できなくなったためかと思ったのだ。普通はここまでずいぶんきばって仕事をしてきたご褒美ととるべきなのだろう。でもわたしにはなぜかしっくりこない。

 還暦にデビューし、ほどなく「ああ映画を1000円で鑑賞できるんや」と気づき、野口英世を1枚ひらひらと窓口のお姉さんにわたすと、いぶかしげな表情で「何か証明になるものを」と問われ、少しうれしくなった経験もあるが、最近はさすがに現実が生物学的年齢に追いつき何の疑問もなくフリーパスとなったことが少し寂しくもある。

 話は飛ぶが、還暦を過ぎて開業した。同級生のなかでも最も遅い独立ではある。産婦人科の特性で、深夜のお産の呼び出しや救急に30年以上携わり、開業はそのご褒美とわたしは捉えたい。多くの方の援助や励ましの力で開院できたことは感謝したいが、この歳での開業は日本の定年制に対する反抗ともいえるのではなかろうか? たしかに60歳というのはひとつの節目かと、現実にそのボーダーを経験した身には実感としてとらえることができる。深夜に2回、3回とお産で呼ばれると次の朝の外来や手術はさすがにきついが、若いときはなんのことはなかった。これだけでも大きな変化であり、衰退であることは間違いない。だから、お産もせず手術もしないかたちのクリニックを選んだのだ。多くを望めない収入のなかで経費を可能なかぎり事業仕分けし、収益をすこしでもあげるといったまさにエコな経営である。

 話は戻るが、たかが1000円、されど1000円で、1800円時代よりも深く映画の楽しさを味わいたいものだ。ついでに言わせてもらえばコンサートやオペラの悪名高いチケットも定年のおっさんには安くしてもらいたいものだ。学生チケットもあるくらいなのだから。ただよくよく考えれば、こうしたジャンルのエンタメは年を重ねるごとにその真価が享受できるのが常だから安くはできないのかも(トホホ)。そして需要も当然、若者ではなく老年市場だからここぞと儲けようと企てるのだろう。困ったものだ。

(宇治久世・阿部 純)

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