【監査】開業医遺族、監査時の対応で調停申し立て/鳥取県東部医師会に
鳥取県東部医師会の会員だった故増田聰子医師が2007年12月に自殺した際、当時の医師会の対応が不透明だったとして、遺族らは7月19日、同医師会と板倉和資会長に説明を求める民事調停を鳥取簡裁に申し立てた。遺族らは、増田医師は鳥取社会保険事務局(当時)の指導・監査を苦にして命を絶ったとみており、監査に立ち会った板倉会長と同医師会の対応をただしたい考えだ。
横浜市で開業する夫ら遺族は、厚生労働省内で会見した。遺族らは、増田医師の心身状態など監査時の状況や、増田医師の退会手続きをめぐる東部医師会の対応などについて説明を求めており、当時の東部医師会と増田医師の会員契約の関係について明らかにしたいとした。ただ、代理人の井上清成弁護士は、増田医師が自殺した責任を追及する考えは一切ないとしている。
申立書によると、増田医師の診療所は不正請求の疑いで07年7月に個別指導を受け、同8月から9月にかけて計4回の監査が行われた。監査が行われていた9月に増田医師が板倉会長に相談を持ち掛けたところ、保険医の辞退や診療所の閉鎖を促されたという。
10月末に増田医師は保険医の登録取り消し処分と診療所の保険医療機関指定取り消し処分を受けた。社会保険事務局からは、過去5年分のカルテの不正・不当請求箇所を訂正したレセプトを11月末までに提出するように求められた。
増田医師は横浜市医師会への異動手続きを行った後、11月30日に退会の意向を伝えたが、東部医師会は異動による退会は受け入れられないとして拒否し、裁定委員会への出頭を求めた。12月28日に増田医師が亡くなると、東部医師会から裁定委員会の結果として「退会届は11月30日付で受理した」とする手紙が届いたという。
夫の増田肇医師は会見で、監査の立会人は臨床医家を代表して第三者的な視点で意見を述べる立場にあるのではないかとした上で、妻の事案を振り返り、立ち会いについて「まったく判然としない制度だ」と述べた。(7/20MEDIFAXより)