【会員投稿】忘れ得ぬ症例 麻疹脳炎の経験
長谷川 功(西陣)
昨年春の麻疹騒動以来、麻疹がにわかに注目されるようになりました。麻疹ワクチンの接種率の向上にともない、麻疹の患者は明らかに減少しました。若い小児科医では麻疹を見たことがない人もかなりいるのではないでしょうか。今回は、私が若い頃に経験した麻疹患者の中から、忘れることのできない症例についてお話したいと思います。
今から25年ほど前、入局2年目の私は大阪の下町のとある病院の小児科に常勤医として派遣されていました。当時、麻疹ワクチンは定期接種になっていたものの十分に浸透しておらず、外来で麻疹の患者を多数診ることができました。中には肺炎を起こして入院する児もいましたが、みんな数日で元気になって退院していきました。心配する母親に「抗生剤のある今の時代、はしかで死ぬことはありません。数日で嘘のように元気になりますから心配無用です」などと当時の私は物知り顔で説明していたものでした。
その年の年末のことでした。当直をしていた私に2歳の熱性けいれんの搬送連絡がありました。救急室に行くとけいれんは治まっていましたが、全身に発疹が出現しており、一目で麻疹であることがわかりました。入院後まもなくけいれん発作が再発し、意識レベルの低下が続きました。頭部CTをとったところ脳浮腫が判明し、この時点で麻疹脳炎と診断されました。抗けいれん剤の投与や脳圧降下剤を点滴しながら経過を観察していました。呼吸が不規則になったため人工呼吸器をベットサイドでスタンバイし、その夜は救急外来を止めて、徹夜でその児についていました。幸いその児は徐々に意識がもどり、無事退院することができました。その後、後遺症はでなかったように記憶しています。
それから数年後、大学に戻っていた私は、かつて勤務していた大阪の病院で週1回の神経外来を担当していました。ある日、9歳くらいの麻疹脳炎の男児が入院したとのことで診察を依頼されました。最初に診た時は昏睡状態でしたが、1週間後には意識は戻っていました。ただ、ときおりけいれん発作を起こしていました。1カ月後には歩行可能になっていましたが、母親によると話しかけても反応が鈍く、別人のようだといいます。結局この子は中等度の精神遅滞と難治性てんかんという後遺症を残しました。
麻疹脳炎の発症頻度は1000人に2人といわれており、まれなものですがその予後はきわめて不良です。前述の2例はいずれもワクチン未接種でした。麻疹は決して軽い病気ではありませんし、小さいときにかかっておいた方が軽く済むという考え方にも賛成できません。ワクチン接種という有効な予防法が存在する以上、それを駆使してこどもを麻疹から積極的に守るべきだと思っています。
今年も、京都市内の小中学校で麻疹患者が発生しているようです。麻疹発生のニュースを聞くたびに、あの時、麻疹脳炎の児に付き添っていた母親たちの不安に満ちた、そして悲しげな顔を思い出すのです。
【京都保険医新聞第2651・2652合併号_2008年8月11・18日_6面】