【主張】医薬品の功罪考察が必要
およそ10年にわたったイレッサ訴訟が4月12日に終わった。
原告側は薬害であると主張した。では、薬害とは何か? 敢えて薬害オンブズパースンの発行物から引用するが、「体質や状況によって服用すべきでない患者がいることや、その薬の品質にとんでもない問題があることを、開発や認可の過程で気づいていたにもかかわらず、速かに被害防止に向けた適切な努力をしない」ことである。厚生労働省による「薬害って何だろう?」という教材にも同様の記載がある。
さて問題点は、訴えによると(1)イレッサに有効性・有用性がないのに承認された、(2)副作用である間質性肺炎について十分な情報を周知せず、適切な安全対策をとらなかったということである(法務省ホームページ参照)。
20年ほど前のソリブジン(これは速やかにメーカーが補償をしたために訴訟にはならなかった)では治験時すでに死亡例があり、5―FUとの併用はその副作用を重篤化させる可能性のあることがわかっていた。そのために、添付文書にはその事実についての注意は記載されていたのである。それが医師に見落とされていたとは思いたくないが、当時はがんの告知が一般的ではなく、患者が服用中の薬剤についてよく認識していなかったこともあって販売開始後数カ月の間に死者14人を出すということになった。
確かにこれは教訓だ。しかしイレッサの場合はやや異なる。承認前に判明していた間質性肺炎の発症は、海外を含めて1万人以上で10例前後と少数である。またこの薬剤の効果や副作用に、民族差があることはよくわかっていなかった。わかっていなかったことを記載しなかったことや、間質性肺炎についての注意が「重大な副作用欄」のトップではなく4番目であったということをもって落ち度といえるのだろうか。
「くすりはリスク」という駄洒落を聞くことも少なくないが、「毒をもって毒を制する」というのが薬物療法である。これは医師・薬剤師なら承知していることだが、患者には理解・納得していただけないことも少なくない。しかし、薬剤による副作用はすべて薬害であるというような考え方が広がると、治療の選択肢は狭まるのではないだろうか。
もちろん医師は添付文書をはじめ諸文献を読んで、副作用による被害が生じないように注意しているはずだが、患者にもまた投薬に際して十分な理解をしてもらえるように努力しなければならない。
イレッサ訴訟を振り返って、この機会に改めて医療者も患者も医薬品の功罪について深く考えてみるべきではないだろうか。