「お江」の生涯で文化講座/戦国期の女性に思いはせる  PDF

「お江」の生涯で文化講座/戦国期の女性に思いはせる

 協会は11月6日、第10回文化講座「戦国を生きた女性『お江』を巡って」を開催、25人が参加した。講師は説話伝承学会会員・京都地名研究会常任理事の山嵜泰正氏。

「お江」の生涯で文化講座/戦国期の女性に思いはせる 会場の模様

参 加 記

 テレビドラマのこともあり、「戦国に生きた女性・江をめぐって」という表題の文化講座に大いに興味をそそられ聴講した。

 江は父・浅井長政と母・市の間に生まれた三女の末娘だった。長政は天下統一を目指す織田信長と同盟を結びその妹・市を正室にした。治乱興亡・群雄割拠の戦国時代の常として、足利義昭将軍と恩義のある朝倉氏との関係を重視した浅井氏は織田勢と全面対決となり姉川で戦う。その戦中に江は生まれた。市は信長死後、娘3人を連れて柴田勝家と再婚したが、天正11年秀吉に攻められて越前国北庄(福井)で自害。3人の娘は秀吉に引き取られ、後に長女・茶々(淀)は秀吉の側室に、次姉・初は京極高次の正室になった。江の最初の婚姻は大野城主・佐治一成に12歳で嫁ぐが、佐治の所領没収で秀吉の命で離縁させられた。17歳で秀吉の養子、岐阜城主・羽柴秀勝(秀吉の甥)と再婚。秀勝が出陣先の巨済島で病没。江20歳で未亡人になった。

 3度目の夫は23歳の江より6歳年下の徳川秀忠。2人の間には2男5女が生まれた。長女・千姫は7歳で豊臣秀頼に嫁ぐ。大阪城落城の際、千姫だけが助け出された。淀殿と秀頼は自刃。その後、千姫は本多忠刻と再婚したが後継者なくお家断絶、70歳死去。二女・珠姫は2歳で前田利常と結納。政略結婚だったが仲の良い夫婦だった。3男5女を生み24歳で病没。三女・勝姫は11歳で越前藩主・松平忠直と結婚。夫乱行癖のため苦労した。四女・初姫は政略結婚で京極忠高と結婚したが夫婦仲悪く29歳で死去。次男・家光は江戸幕府三代将軍となった。在職中、諸法度の制度・職制・兵制・参勤交代などの幕府諸藩の制度を整えた。キリシタン弾圧、鎖国などを断行し全国の専制的支配体制を固めた。三男・忠長は駿河城主だったが、家光に疎まれ、上野高崎城に預けられ自刃した。五女・和子は家康の対朝廷政策により14歳で21歳の後水尾天皇に嫁ぎ皇后となる。紫衣事件をきっかけに天皇譲位、娘興子が8歳で明正女帝に即位する。将軍家の娘、天皇の妻、女帝の母と「菊と葵」の要の役割を果たした。

 以上が山嵜泰正先生の講義の概要である。54歳で生涯を閉じた「江」の人生は波乱万丈、日本の歴史の中で稀有なものと思えた。

(北・田中道明)

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