3・11が日本の政治・社会に提起していること その2 原発の政治学  PDF

3・11が日本の政治・社会に提起していること その2 原発の政治学

 福島第1原発事故の収束のめどは、依然立っていません。原発・放射能汚染の危険性については、すでに多くの自然科学者が解明していますが、「政治学」の立場からはまだ検討されていない「なぜ」があります。
1つは、そもそもなぜ日本政府は、狭く地震大国でもある日本にかくも多数の原発の建設を企てたのか。そして、電力会社はなぜ安全対策の手抜きをやったのか、という問いです。「安全神話」に寄りかかったといわれますが、スリーマイル、チェルノブイリの経験のあとに政府や東電が建設をすすめたのは、彼らがどうしようもない無知であるというのでなければなぜなのでしょうか。2つめは、なぜ、原発を導入した地域・自治体は、それを容認してきたのか、という問いです。

 日本で原発が大量に建設されたのは、自民党政権の手で推進された大企業本位の経済成長政策の所産でした。もともと戦後日本の経済に不可欠のエネルギーは、水力と石炭を主力にしていました。ところがエネルギー政策は、1960年代初頭に石油中心に急激な転換をします。当時アメリカは、世界のエネルギーの相当量を産出するサウジアラビア、イラン、イラクなどの中東産油国に対する支配権を確立し、石油巨大企業メジャーズによる油田開発と技術革新で、原油の増産体制を確立しました。販売先を求めて、アメリカは従属下にあった日本に石油を押しつけました。政府のほうも、エネルギー源を水力・石炭から、「水よりも安い石油」に変えることで競争力の強化をめざし、思惑が合致して、1962年の原油輸入の自由化以降、嵐のように石油への転換が強行され、炭坑の閉山が続きました。通常の国家であれば、こんな偏ったエネルギー政策はとりませんが、日本は企業の成長だけを考えたために、極端な政策がとられたのです。
安くて優秀な労働力と企業社会に相まって、安い石油は高度成長の原動力となりました。73年には、日本のエネルギー供給のじつに77.4%が石油になってしまったのです。ところが、73年の中東紛争、石油輸入の途絶、原油高騰で、事態は暗転。今度は嵐のような原発建設が始まります。2001年には、石油は50% を割り、原子力が12.2%にまで至ります。発電に限れば、2008年には原子力が24%で、石油の倍近くになっています。80年代に入り、スリーマイル、チェルノブイリと原発事故が続く中で世界的には原発見直しが強まる中、これだけ原発を増設しつづけたのは、日本が大企業の成長に特化した政策を採りつづけたからにほかなりません。
それに加えて、90年代に入るとグローバル経済下で大企業の競争力強化をめざす構造改革が展開され、原発はさらに危険性が増したのです。企業間競争の激化の中でエネルギーコストの低下圧力が加わり、電力自由化がなされると、電力各社は、耐震性や安全性にかかるコストの削減に乗りだしたからです。こうした開発主義政治、構造改革の複合が原発事故を引き起こしたといえます。

 それにしても、なぜ福島をはじめ、原発を有する地域は誘致・建設を許容してきたのでしょうか。
その背景にも自民党の利益誘導政治があります。前回検討したように、高度成長期以降、地方の農業・地場産業は衰退を余儀なくされましたが、自民党政権は、地方に公共事業投資をばらまいて開発を促進し、企業誘致と雇用を創出して自民党の強固な支持基盤にしてきました。
ところで、原発を導入してきた地域をみると、どこも公共事業投資の恩恵も受けにくい、企業の誘致も難しい「 僻 地 」です。政府や電力会社はそこにつけ込んで、「最後の公共事業」として原発誘致を画策し、地方のほうも、開発のための最後の手段として受け入れを強要されてきたのです。福島第1原発・第2原発の建てられた浜通り地方は、「福島のチベット※1」といわれ、公共事業の投資も遅れてきた地域でした。第2原発建設をもくろんだ県の職員が地元を説得する口実は、「大工場がやってく
る」というものだったそうです。 とくに政府は、エネルギー政策の転換を図った74年、電源三法を制定して電源開発促進税を取って、これを電源三法交付金というかたちで大量の原発立地対策費に注ぎ込みました※2。2004年をとると、原発10基をもつ福島県が1位で824億円、7基を抱える新潟県、13基の福井県と続きます。県や市町村が電力会社にかける核燃料税も、地方財政に大きな比重をもちました。過疎で財政に苦しむ県や市町村では、こうした交付金や税が地方財政収入中、大きな比重を占めるようになったのです。
交付金には期限がありますし、交付金でつくったハコモノの維持経費もバカにならない。それが切れると地方財政はただちに危機におちいるため、次の原子炉建設を容認することを余儀なくされました。電力会社もさまざまなかたちで補助金や資金を現地に流し入れました。原発受け入れ自治体では、こうした資金で華美な庁舎や文化施設が建てられ,町の病院などの経営立て直しに投入されたりしたのです。
さらに、小泉政権のもとで強行された構造改革は、自治体の原発依存を強めました。地方財政の削減の中で、原発立地地域はいっそう原発交付金への依存を強めざるをえなくなったのです。

 ではこうした事態に際し、どうしたらよいのでしょうか。
まず第1は、福島原発の事故を収束させるために全力をあげることです。そのためには、かねて原発被害を警告してきた、原発に批判的な学者や政党を対策会議に参加させることが不可欠です。同時に、原発事故で露呈した安全基準、放射線の被爆許容基準を根本的に見直し、ただちにその基準での運用をはかることです。
それと並行して、政府は、稼働中の全原発を停止しなければなりません。菅首相は浜岡原発の停止をおこないましたが、正しい政策です。しかし政府は、浜岡を 人 身御 供 にして、他の全原発の稼働を容認し、安全確認の後、再稼働に踏み切るもくろみです。逆に、私たちは浜岡原発の稼働停止を出発点に、全原発の稼働停止、エネルギー政策の転換に舵を切る必要があります。大企業もエネルギー多消費産業からの転換をおこなうと同時に、私たちのライフスタイルも、より人間らしい方向に変わらなければならないでしょう。そうしたことを展望して、まずは原発政策転換に舵を切ることが緊急です。
そして最も必要なことは、地方に対する構造改革の政治をやめて、産業や地場産業で生きていける地域を再建することです。

クレスコ編集委員会・全日本教職員組合編集
月刊『クレスコ』7月号より転載(大月書店発行)

[※1] 鎌田慧『日本の原発危険地帯』(青志社、2011年)89ページ。
[※2] くわしくは、大島堅一『再生可能エネルギーの政治経済学』(東洋経済新報社、2010年)第1章、および、鎌田前掲載書を参照。

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