続々漂萍の記 老いて後/谷口 謙(北丹)(17)

続々漂萍の記 老いて後/谷口 謙(北丹)(17)

講 演

 高校に入って数回、学校が外部の人を招いて講演を聞いたことがある。

 1回は九大工学部の教授ではなかったかと思う。型通り校長の紹介があり、続いて講師が壇上に立たれた。その方が講演の終わりに、到着した松江駅で駅弁があって買い嬉しかったと一言おっしゃった。お話の内容は何も覚えてないが、松江駅の駅弁のみ印象に残る。駅弁が買えたのは昭和17年だったと思う。18年ではもう絶対に買えなかった筈だ。陸海軍の軍人さんの話は聞かなかった。大詔奉戴日というのはあったが、大講堂の壇上に軍服姿を見た記憶はない。学校当局の小さな抵抗だったかもしれない。

 ノーベル賞を貰われた湯川博士が一度お見えになった。未だ文化勲章を未受章の時で、その直後に受賞されたから、昭和17年か18年のことだかは記録を見ればわかると思うが、残念ながらぼくにはそれがない。

 話の内容はちんぷんかんぷんで、恥ずかしいが何もわかっていない。後日、数学のS教授が授業時間にひどく湯川氏の話を誉めた。口の悪い人だったので驚いた。原子物理学の流れを話され、自分の発見の直前に講演を止められた、偉い方です云々。ぼくのような無能な者は、湯川先生から話を聞いたという記憶のみ残っている。

 講演の数日後、東京から来ていた理甲の某が、「ぼくは東大の物理学科に行って原子物理学を専攻する」と友人に話しているのを聞いた。また文甲の男が、「あんなおとなしい人、召集されて軍隊に行ったらどうするんだろう」と、それでも心配げにしゃべった。

 大学に入ってから、御所の近くで湯川氏の邸宅を見つけた。立派な建物だった。

 某氏のご好意で、湯川博士の文化勲章受章は昭和18年であることを知った。そうすると、氏が松江高校を訪問されたのはやはり18年のことになる。

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