続々 漂萍の記 老いて後 谷口 謙(北丹)―<9>徴兵検査

続々 漂萍の記 老いて後 谷口 謙(北丹)―<9>徴兵検査

 記憶が曖昧でいささか困惑するが、徴兵検査を松江で受けたのは2年生の時だったと記憶する。場所は兵舎ではなかった。どこかの学校だったと思う。机のある教室で待たされた。文科の生徒もいて、わいわい騒いでいたら、突然下士官が現われて、低い声でたしなめた。「おまえらのような奴<ルビ/やつ>は知らんわい。徴兵検査を受けに来る者は、起床して禊<ルビ/みそ>ぎをして、神社に参詣し、各地区からやって来るものだ。それに加えておまえらは、物見遊山のようにしているではないか。高校生だといって軍隊を舐めるな、今にひどいしっぺい返しを受けるぞ。われわれ徴兵官一同を舐めるな」

 ぼくの左に座っていた者が、慌てて煙草の火を消した。それから数人ずつまとめて呼び出され、身長・体重・胸囲を測定し、命じられて校庭に集合した。そこには50キロの土嚢が並べてあり、それを担いで50メートル走るのだ。ちなみにぼくは、松高の校庭の隅にたまたま土嚢が置いてあったのを見つけ、両手を出しても、それを肩まで持ち上げることができなかった。郷里で小学校の同級生が米1俵、60キロを担いでいるのをよく見かけた。それができたら一人前だった。それでぼくは担げなかったらどうしよう、殴られるかもしれない、びくびくしてやって来たのだった。と、運動場にいたのは中尉だったと思うが、

「土嚢運びは、本日は中止」

と、一声叫んだ。下士官たちはぶつぶつ言った。こんな徴兵検査は知らんわい、と捨て台詞を残して土嚢をかたづけた。

 最後は一番位の上の人、徴兵官の前で不動の姿勢をとり、宣告を受けた。

「谷口謙 第一乙種合格 歩兵」

ぼくはそれを復唱し

「よし」

との言を聞き、頭を下げて退席した。

 前にも書いた浅田は、気の毒だった。風邪で発熱し、近所の開業医、いや校医だったかもしれない。病気のための延期診断書を頼んだら、徴兵検査は難しいから、無理にでも行った方がいいと諭<ルビ/さと>され、かなりの発熱をおしてやって来たのだった。

「丙種」

と兵役免除を言い渡され、何か一言怒鳴られたようだった。ぼくのような歩兵は入営延期となり、大学に進学できたのである。

 あとで松江に住む同級生から聞いた。土嚢を担いで走るのを中止させたのは、松江中学から松高に進んだ先輩だった由。ぼくは運の強い男だと思った。

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