続々 漂萍の記 老いて後 谷口 謙(北丹)―<3>配属将校

続々 漂萍の記 老いて後 谷口 謙(北丹)―<3>配属将校

 中学、高校、大学と生涯に3人の配属将校に会った。若くて純心? だったせいか、中学の思い出がもっとも印象に残っている。中学3年の1学期が終わるまで、国鉄宮津線で汽車通学、宮津駅から宮津中学まで歩くとき、学校に近く、向かって右に田川中尉の家があった。中学が提供したのか、中尉自ら依頼して借りたものか事情は知らない。肥った小柄な奥さんが、いつも赤ん坊を抱いたり背負ったりして、家の前においでるのを見かけたのだった。中尉は長身筋肉質、怒声を吹き上げ、新入生にはまったく恐ろしい存在だった。

 上級生から聞いた話、ニックネームは“蛮犬”、蛮は野蛮人の蛮、犬は狂犬病の犬、随分ひどい字だった。三八式歩兵銃を持っていたから、3年生の時だったと思う。校庭内で演習があり、クラスは二手に別れ、ぼくたちは校庭にあった東郷池のあたりに隠れ、対面の校庭のはし、ポプラの並木に近く、滝馬村に行く道路付近に一方敵は散開していた。ぼくらは監視をし、報告をせねばならぬ。ぼくは起立をしていた。黙っていたら中尉に怒鳴られた。

「おい、おまえ、見えないか」

「はい、見えません」

「見えない、お前は目が見えんのか」

 実際にはちらちらしたもの、級友が1人ずつ走っては伏せているのが見えたのだが、あがっていたぼくは即時に返事をすることができなかったのだ。

 4年生になってからだと思う。実弾射撃演習があった。歩兵銃を使い、伏せの姿勢、実弾を標的に向かって発射をする。標的の下の溝には、係の者がいて赤旗を振り、そして溝に隠れる。無事に終わって修了となる。中尉は機嫌がよかった。

 それから中尉は、京都市内の一商か二商か忘れたが、某商業学校に転勤をした。

 そこで事故があった。生徒の1人に実弾が当たって死亡した。中尉の責任と人づてに聞いた。中尉は左遷された。ずっと後になるが、中尉は沖縄で戦死をしたと。これは風の便りだった。

 ここまで書いて、ある情景を思い出した。高級将校(大佐あたりではなかったかと思う)が、査閲といって年に1回、軍事教練の視察に来ることがあった。田川にとっては、重大な1日であったと思う。ぼくが3年生か4年生の時、査閲の後、その高級将校が野球が好きで、生徒と教職員の間で野球が行われた。査閲官がピッチャーを務めた。中尉は全く野球を知らなかったらしい。バッターとしては三振ばかりしていたが、一度だけバットをかすめ、球は前方に転がった。田川はきょとんとしていたが、走れ、走れ、の声で田川は走り出した。足は早かった。が、サードに向かって走った。

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