憲法を考えるために(19)

憲法を考えるために(19)

 「防衛をめぐって(3)」

 「防衛をめぐって(2)」では、軍事によらない防衛(市民的防衛)について、主体は軍隊ではなく市民であること、目的は(軍事的防衛に於ける)領土、国(国家組織)を守ることが主ではなく、市民の生命・財産、そして自由や民主的な社会を守ることが主であること(常識と異なり、占領されたとしても、後者が回復したとしたら一義的には防衛ができたことになる)、そして非暴力が基本であることなどを述べました。今回はその方法と可能性について。

 歴史的にはマハトマ・ガンジーによって指導、実践されたのが有名ですが、それには抵抗組織づくり、説得と抗議、非協力と不服従など、数多くの方法があるといわれています。しかし、重要なのは具体的手段もさることながら、それの前提となる考え方です。
まず、何を守るのか(前述の目的)をしっかり確認すること。軍事的侵攻に白旗を掲げることで始まる場合、それは敗北ではないと考えること(これは社会と内なる自身の敗北主義、臆病者という非難に対する理性とそして勇気が必要です)。人的犠牲、そして物理的損害が遙かに少ないこと(もちろん市民的防衛においても人命が失われないというものでないのも事実ですから、やはり勇気が求められます)。さらには市民的防衛の有効性への信頼。そして何よりも大切なことは、これらが社会的にしっかり共通した認識になっていることです。

 これらに対して、市民的防衛は相手方(ひいては人類?)の理性と良心に依存していて、そこまで信じることはできないから実効性は疑わしい、あるいはテロには有効でない、非現実的机上の空論であるなどその有効性に対し多くの反論、異論があります。しかし歴史(戦争)を振り返り、今後(平和)を見据えた充分な議論が積み重ねられ尽くされたとはとてもいえないでしょう。
そして真の市民的防衛は、自国への侵略、侵攻が起こらないように(そしてそのためにも自国以外の国においても、侵略、侵攻が起こらないように)、平時にこそそれを引き起こす原因を考え、それに対してできる限りの外交努力をすることであり、それを社会が求め、支えることではないでしょうか。

 最後に追記として−ここではふれる余裕がありませんでしたが、軍隊ではなく市民が武器を持って戦うこと(パルチザンなど)をどうとらえるべきか、市民的防衛を考えるきっかけとして、一度検討を試みていただければと思います。

(政策部会理事・飯田 哲夫)

【京都保険医新聞第2665号_2008年11月17日_5面】

 

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