憲法を考えるために(17)

憲法を考えるために(17)

 「防衛をめぐって(1)」

 *憲法9条2項「…戦力は、これを保持しない…」 *憲法13条「すべて国民は、個人として尊重される…」

 個人の尊重は、自由・平等などとともに、長い時間と多くの犠牲のもとに到達した理念で、近代立憲主義の基本原理といえます。また「国民の生命・財産、さらに自由・平等など」を他国の攻撃から守る=防衛も考えなければならない重要な問題です。

 私たちは防衛=軍隊による防衛(軍事的防衛)をすぐ想起してしまいます。古今東西それがいわば常識でしたから無理もありませんし、9条の理念が世界の常識になるには、自由・平等などが常識になるに要したと同じくらいの時間が必要なのかもしれません。難しい問題ですが、今回はこの防衛について考えてみたいと思います。

 軍隊の存在理由は、「自国の領土、そして国(組織)を他国の攻撃から守る」ことにあるのは常識だと思います。(そのために必要なら、「国民の生命・財産、さらに自由・平等など」を犠牲にすることもありえるという問題、さらには個人の尊重という近代立憲主義の基本原理より優先する価値感(国家)の問題などについてはここでは触れません)。

 軍隊の本質を考えるため、一般の市民社会との違いを挙げれば、個々人の自立性と個人の尊重の原則(市民社会)、他律性=命令への服従と組織尊重の原則(軍隊)、自他の人命に対する価値観の違い、そして何よりも違うのは、組織としての武力行使の有無です(警察も組織として武器を使用しますが、軍隊とは本質的に異なります)。

 近代において、このように質的にあまりにも違う軍隊は、一般の市民社会と分離し、そして軍隊(特にその武力行使)を市民社会の下(もと)におき、統制しようとします。いわゆるシビリアンコントロールです。しかしこのシビリアンコントロールには原理的ともいうべき困難が横たわっていることは既にこの欄で述べましたし((13)「軍と民・シビリアンコントロール」)、また歴史の教えるところでもあります。

 その他にも、現在の市場原理の世界において、自国の防衛のためだけの軍隊であっても、それに対する軍備の研究・開発が経済活動としての兵器の輸出につながり、他国の戦争に実質的に加担するという問題。自国の防衛のために絶対に必要という論拠による軍事費の増加をどのような論拠によって規制するのかという問題もあります。そして最も懸念されるのは、自国防衛のためには相手に勝る戦力を持たねばならないのなら、そこからすぐに見えてくる核武装の問題です。

 軍事的防衛の問題を取り上げてきましたが、何よりも軍事力による完全な自国防衛などありえないというのが厳然とした事実だと思います。

 では軍事力によらない防衛の可能性はあるのでしょうか? −続く−

(政策部会理事・飯田 哲夫)

【京都保険医新聞第2657号_2008年9月22日_5面】

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