医療の不確実性を考える(20)

医療の不確実性を考える(20)

弁護士 莇 立明あざみ たつあき

万能でない医療事故調査委

 まもなく、朝日新聞の「私の視点」欄に、表題のタイトルで私の文章が掲載される。字数に制約があり、舌足らずであるが、その全文を以下に再録して、本連載の終わりとしたい。

◇   ◇

 10月2日、富山での日弁連人権大会で一般医療事故についてのシンポが開催され、国に対して「医療従事者のほか、患者の立場を代表する者や法律家など」で構成する、公正で中立的な第三者調査機関を設置することを要望する宣言が採択された。厚生労働省も医療版事故調査委の設置大綱案を発表しており、これに対する在野法曹団体の意見を表明したものだ。

 しかし、両者の案ともいかにも未消化であるとの思いを禁じ得ないし、一般の議論も盛り上がっていない。無理もないことで、この問題に関心を寄せる弁護士は訴訟を担当する患者側、医療側の限られた人たちで、一般弁護士でも関心は薄い。

 長く患者サイドで働き続けてきた弁護士によると、裁判で勝訴しても被害者の置かれた実情は変わらないという。「医療事故」「医療過誤」を積極的に取り上げようとしない医療界の体質、「臭いものには蓋を」と隠す文化の蔓延が問題であり、調査委発足により医療界が公正、客観的な事故調査を行えるようにすると強調されている。

 疑問を感じるのはまず、調査委の具体的な目標が何かはっきりしない。医師の事故に対する責任の有無を早期に決めて、患者側の要求に答えさせる狙いと思われる。しかし、医療事故の発生原因は初歩的な単純ミスが多いけれど、原因が直ぐに判明せず、究明しようとしても道筋が多様である例もある。

 また「臭いものには蓋を」との発想自体が、悪いことをしているのに認めないとの被害者意識が突出している。医療事故にはミスのないもの、原因が不明なもの、不可抗力と判断されるものがある。生体変化の不可知さ、医療が持つ本質的な不確実性から、事故の真相究明には、その科の複数の専門家に任せる方が良い場合がある。第三者が入ったからといって正しい究明がされる保証はない。

 「隠す文化」が医療界に蔓延しているといわれるけれども、患者の医療に対する無謬性の誤解も根強く蔓延している。予想外の悪しき結果に対する医師への失望が恨みや猜疑心へと発展しやすい。「隠す文化」といわれるけれど、それは患者側の態度との相対関係にあり、医師を一方的に非難するのは公平ではなかろう。

 良質な医療の実現には具体的な課題が多い。何よりもまず、医師の資質、技術の向上、そのための研修、訓練の強化が求められる。そのためにも取り巻く外的条件整備が必須であり、医師の労働条件の悪化を阻止することが緊急に求められる。政府の医療費抑制政策の転換が必要であり、医療事故の防止と医療安全対策は平行して進められるべき課題だ。

(おわり)

【京都保険医新聞第2664号_2008年11月10日_3面】

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