医療の不確実性を考える(19)

医療の不確実性を考える(19)

弁護士 莇 立明

「医療の不確実性」の説明を

 医療は病気の治療を目的としているが、人間の生体は予測外の多様な変化をすることがあるし、いかに医療が進歩・発達しても不確実性は避け難い。いかに腕の良い医師が最善の治療をしても結果が悪い場合がある。その原因はいろいろで、医師のミスと単純に決めつけることのできないことが多々ある。免疫学者多田富雄氏は作家石牟礼道子氏との共著『言魂』で述懐している。脳梗塞で重度の言語障害、嚥下障害があるのに、前立腺癌が見つかり骨盤内リンパ節転移のため切除が不可能、ホルモン投与療法を受けて睾丸を去勢した。ところが入院中に尿路結石が見つかり、そこへMRSAの院内感染の洗礼を受け、高熱と痛みで体力を消耗、頻尿と排尿困難に苦しみ続けている。「つくづく病院というところは、患者を絶望させ、衰弱させる装置と知りました」と。この高名な学者・医師に対して病院が懸命の治療を尽くしても院内感染にも罹るのである。このような場合に、病院の院内感染対策の不備、管理ミスを主張して訴訟を起こされる例がしばしばある。しかし、多田先生はさすが医師、絶望的となりながらも冷静である。

 医療に安全、完璧を求める市民は多い。医療の無謬性への誤信である(医療側にも責任がある)。期待・予期に反して事故が起きると、簡単には済まないことが多い。患者・遺族は医師に謝罪を求め、原因の如何に耳を貸そうとしない。病院は賠償金を支払わねばならなくなる。医療の性質上、検査や手術における合併症や危険性が一定あり得ることを患者によく説明し、理解させて同意を得ることが必須であることを判っていても、時間の制約などで十分な実践ができていない事例が依然多い。カルテへの記載も不十分である。

 医療事故は一旦発生すると医師は心身共に消耗する場合が多い。あらためて心掛けていただきたい。

 今、日本の医療は、小泉改革による社会保障費抑制策をもろに受けて、医療費削減が続き、病院を中心にほとんどの医療機関は大変な経営困難に追い込まれている。そのしわ寄せが勤務医や看護師たちに集中し人員不足による過重労働を産んでいる。産婦人科などの閉鎖、救急医療の辞退など「医療の崩壊」ともいえる現象が各地で起きている。

 そして、貧困者や高齢者は差別医療に押しやられる姿が、我が国でも現実化している。多田先生はリハビリ打ち切り反対に命がけの抗議をし、48万人の反対署名が集まるきっかけを作られた。中世や近世で農民が領主の過酷な税の取り立てなどに抵抗して逃亡してしまうことを「逃散(ちょうさん)」と言ったらしい。医師の「逃散」は何としても阻止せねばならない。

【京都保険医新聞第2663号_2008年11月3日_3面】

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