医界寸評  PDF

医界寸評

 最近、落し物を交番に届け出た際に思ったことである。警官が書いて文書を作成し、私はそれに署名するだけなのだが、それで思い出したことがある

▼20年近く前のこと、我が家の敷地に塀を乗り越えて夜間侵入者があった。家には鍵が掛かっていたが、家は庭に囲まれていて直接道路に面していなかったので到着した警察官も進入に手間取り不安な時を過ごした

▼逮捕後、私も警察署に呼ばれ事情を聴取された。気になったのは、警官が「私は」で始まる文書を作成し、その中で私は犯人逮捕後、庭の植木鉢が壊れていることに気づいたと言ったことが「犯人が壊した」となっていたことだ。私はその行為を見ていない。野良猫が倒したのかもしれないし、警察官が倒してしまったのかもしれない。だから「私は現場を見ていない」と指摘して訂正を求めた。快く修正はしてくれたが、新たな紙に書き直す手間も面倒だろうと気の毒に思うし、こちらも早く帰りたい。だから人によっては少々のことはどうでもいいやと署名してしまうこともあるだろうと不安に感じたことを思い出したのだ

▼これが被疑者として取り調べられる時も同じなら怖い。その際も快く修正に応じるのだろうか。また弱みがあれば何度も修正を要求して心象を悪くすることを恐れてしまうかもしれない。こういうところに冤罪の芽があるのではないかとあらためて考えた。(MYCONOS)

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